海外旅行
どこか海外にへ行きたいな、と思ったのが98年の秋でした。 雑誌やHPであまりお金が掛かららない国を探すと、どうもアジアしか無いようなので、 韓国か台湾にしようかと思いました。でも、どうせ行くならあまり聞いたことのない国の方がいいと思い、 ぱらぱらと雑誌をめくっていくとタイと言う国がありました。はっきり言ってタイって台湾の一部 なのかなとはじめは思っていたくらいで、国のイメージが全くありません。ホテルや航空券も安く 国の場所を探すと、インドよりは日本に近いし冬でも暖かそうなので、この時期に行っても問題ないな、と言うことでタイが第一候補になりました。ガイドブックを買ってきて読んでいくと、 そういえば前の会社の先輩がこの前行って来た国がタイだな、そういえばミュージカル映画の舞台も この国だなと、考えてみれば意外にメジャーかもしれないと思い、他の国にしようかと思いましたが、 滞在費の安さ航空券の安さが魅力だったので、タイになりました。
これが初めての海外旅行だったので、2週間のうち最初の3日間と最後の日だけは事前にホテルを予約して、 そのほかの日は、ガイドブックを見て直接ホテルやゲストハウスを探すようにしました。 初日は深夜到着したので空港近くのホテルに泊まりました。翌朝、電車でバンコクの中心部まで行こうと 思って駅まで歩いきました。そのとき、なにげない光景に衝撃を受けました。今でもよく覚えていますが、 裸足で歩いている人がたくさんたむろしていて、そこには腐った木でできているのではないかと思う小屋 があり、 数人の、汚いと言うより、ぼろ布をまとった人たちが食事をしていました。私の中で「なぜ」という言葉が 頭の中で繰り返していました。日本にもホームレスといわれる人がいますが、私の見た人たちは自分の家を 持ちその家の横にはオートバイが置いてあり、お金が全くないという風ではないのに、なぜそんな汚い格好を しているのか、なぜこんなドブ川が家の横に流れているのか、なぜこんな臭いところに住んでいるのか、 ただ疑問がわいてくるだけでした。今思えば衛生の悪いスラムの横を歩いていたので、びっくりしただけ だった言うこともできますが、その光景はそのときの私の常識を越えており、鮮明に焼き付いたのでした。 いま、同じところを通ってもあのときのようには感じないでしょう。(でも、地面が動いたと思うくらい のゴキブリ大群には、タイに何度かいった今でもビビリます。)
しばらく歩いて駅を探しましたが見つからないので、近くにいた人に会話集を見せて駅を指さして もらいました。 どうやら行き過ぎていたようですが、私は線路の横の道を中心部に向かって歩いてきたので 、駅を見落とすはずはない思いながら、 他の人に聞いたのですが、同じ方角を指さすのです。そんなことを3度ほど繰り返すと、掘建小屋のような 物を指さすではないですか。さすがに、崩れかけた小屋が駅だとは分からずに行き過ぎていたようでした。 公の場所なので、英語の表示もあるのかと思ったのですが、タイ語だけでした。 何時に電車の時刻は分かるのですが、行き先が分からないので不安でした。 しかも窓口は、電車が来る10分くらい前にならないと開かないので、 いつになったら中心部のファランポーン駅に行けるか分かりませんでした。
何とかファランポーン駅に着いて、今日泊まるホテルに行くことにしました。ホテルはチャイナタウン にあり地図で見ると駅からそれほどの距離はありませんので、歩いていきました。が、すぐに迷いました。 どうもチャイナタウンというのは怪しく治安が悪そうだと思って、何かあってもすぐに逃げられるように なるべく女の人に道を尋ねるようにしていました(今では、笑ってしまいますが)。でも結局分からず、 体力だけ消耗してしまいました。1月なので、この時期は一番涼しいはずなんですが 日本の初夏と変わらないと思います。 さすがに疲れてタクシーに乗りました。昨日の深夜も空港からホテルに行くときもタクシーを利用したので すが、チップを100Bくらい請求されて、それを断るのにいやな思いをしたんであまり使いたくなかったのです。
ホテルに着くとタイの知り合い(たまに飲みに行くバーのマスターの知り合い)の携帯に連絡を取ろうとしたら、 部屋の電話は携帯にダイレクトにつながらないらしい。聞いてもよく分からないので、フロントでかけてもらい夕食を一緒にすることになりました。まだ、会ったこともない人なので、かなり不安でしたが、バーのマスターから写真を渡すように頼まれていたんで、その写真で顔だけは分かってました。 ホテルのフロントに待ち合わせの店の名前を書いてもらい、それをボーイに渡してタクシーに行き先を言ってもらいました。ボーイがホテルの前に3~4台止まっているタクシーを無視して、流しのタクシーを止めるのは笑ってしまった。 外人客を狙っているドライバーはそれだけトラブルが多いのだろうか。
着いたのは、オープンのレストランでした。知り合いは、あだ名でまさおさん明らかに中国系タイ人でした。まさおさんは、日本に4年ほど住んだことがあり、きれいな日本語を話しました。 それにしても、こちらの人は延々と飲んで食べている。私の友人の中で考えても、こんなに長い間、 ウイスキーをちびちびと飲んで、さらに注文をしてつまみをちびちびと食べている人は居ない。 こちらでは、たぶんこんなものなんだろう。とにかく私は、作り笑いをしてなるべく目立たないようにしていました。まさおさんが普通の人で良かった。実は、もしかしたら変なトラブルに巻き込まれて お金を取られるのではないかと思って心配していたんです。
今日は、朝からバンコクの観光名所巡りです。日本語のガイドがつく観光バスでのツアーです。客のほとんどは、日本人か日系人でした。一通り見終わっての感想は、奇妙なデザインのお寺があって面白 いと思ったのと、建物の内部に入れるような作りになってないので、単なるシンボルに過ぎないのに タイの人は、こんな物を作るんだ。と、不思議に思ったことです。 一人で回ればもっと時間があって良かったんですが、 自分で回るとなると、タクシーを使っても説明するのが面倒だし、バスはどこに行くのか分からないし、 現地ツアーなのだからゆっくり見られなくても仕方ないだろうと思いました。
約25年前の自身の文を読んでみて非常に新鮮でした。また、それらの記憶が蘇り現在のタイがだいぶ変わってしまったのだということも実感しました。まさおさん元気かな?20年位連絡とっていないので相手も忘れているだろうけど、その人はまともでもその友人やさらにその友人と繋がってくると、結構危険な人が多くなるので下手に付き合いできないということはあります。さらにタイの記事なのになぜアンコールワットの写真を載せているのか不明です。多分、私の中では当時は東南アジアはどこも一緒という感覚だったのかと思います。
いろいろな人
最初の1週間は、ガイドブックに載っているような観光名所を見て回ったり、 買い物をしたりしていたんですが、喉がやられたのか風邪をひきました。考えてみればバンコクの 車の排気ガスはひどい物で、日本の15年くらい前の乗用車が手入れもされず乗られているんです。だから、交通整理をしている警官は、マスクにサングラスをして自分の体を守っています。とりあえず日本から、持ってきた薬を飲んでいたんですが、いっこうによくならず、とうとう全て飲んでしまいました。私はもともと薬を倍飲むので、あっという間になくなってしまいます。仕方なく、薬局らしき場所 で、会話手帳を片手に薬を買いました。風邪薬かどうかも分からないまま買ってきたので、飲むべきか 飲まずに我慢するか迷ったのですが、下痢と熱と咳と喉の痛みに耐えきれず、飲んで寝ました。起きてみ ると熱だけは完全に下がったようでした。これで観光ができると思ったんですが、6時間もすると 又ぶり返してきて、とても旅行どころでは なくなりました。本当は、スコータイやチェンマイに行きたかったのですが、今回はあきらめました。
一日中、ホテルにいてもつまらないので、涼しくなる夕方になると薬を飲んでから外に出ました。 その辺をうろついていてもあまり面白くなく、ガイドブックに載っていたゴーゴーバーに行ってみよう と思いました。3ヶ所くらいそういった場所があるようなんですが、たぶん安全じゃないかと思われるところに行きました。いざ行ってみると、寂れて怪しい感じがするので、もし何かあっても すぐに逃げられるように、道路から一番近い店に入りました。席について、飲み物を頼み周りを見ると、裸に近い格好で踊っている人と目が合ってしまいますので、何となく照れくさくて、普通の格好をしている ウエィトレスの子と話をしました。話と言ってもどこらら来たか、名前は、仕事は忙しい、などと、たいした話はできないんですが・・・。しばらく話していると PAY BAR してくれないかと言うんです。なんの ことか分からないんで、頷いていたんですが日本語のできる人が来て、説明されました。つまりは いくらかの料金を払うと、今日は仕事をしなくていいそうなんです。結局、援交みたいなものなんだな、と思いました。その子と店の外に出ました。おなかが減っていたので、何か食べたいという仕草をすると、 正面のホテルのレストランに連れて行かれました。タイに来てからレストランなどに入って食事は ほとんどしていなかったので、 文字だけで、注文するのはかなり大変でした。その子もあまりレストランに来たことがないのかかなり緊張しているようでした。食事をして、会話集を通しての会話でしたが、何とか場がもてたのでよかったです。 この子は、日本に帰ってからも、何度か手紙のやりとりをしたんですが、今も元気でいてくれるといいのですが。
2、3日たつと、調子もある程度良くなってきたのでカオサンロードというバックパッカーの集まるところで 現地ツアーを頼みました。いつ体調が悪くなるかもしれないので、日帰りのツアーを2日ほど頼みました。 1日目は カンチャナブリーという、映画の舞台になった鉄橋へ行きました。周りの人は、アメリカ、オランダ、韓国の 方たちで、英語がしゃべれない私は、話しかけられたら答える程度で、あまり会話をしませんでした。 もともとその人たちは、タイで知り合ったグループのようでしたのでよけいに私は浮いていました。車は1BOXで、 エアコンは効いてい るのですが、定員オーバーで(体格の良すぎる人が2人も居たので)非常に暑苦しくさらに運転も雑だったので、あまり快適とはいえませんでした。自分で、選んだ ツアーでなく店の人が勧めたものだったんですが、内容はあちこち回れてなかなか面白いツアーでした。 旅行という物は普段の自分からの解放という物なのでしょうか、カンチャナブリーでは品のない旅行者が多いことに 驚きました。次の日には、アユタヤ遺跡に行きました。このときは、たまたま日本の方がいたので、 久しぶりに、日本語での会話をすることができました。この方は、インドに何度も行っているようで、 ストップオーバをしてタイに寄ったそうです。その方の話では、インドなど行かないで済むのなら行かない方がいい。と言うんですが、じゃあなぜ何度も行くのかと訪ねると、日本にいると行きたくなるそうなんです。 で、実際に行くと、こんなとこ2度と来るかと思いながら帰るそうです。今は、何となく分かる気もしますが、そのときは、よく分からない人だなと思っていました。ところで、アユタヤ遺跡はとても興味深い ところでした。なぜ、昔の人はこんな物を作ったのだろうということを考えながら見ていると、建設当時の風景が脳裏に浮かび上がるような気がしました。もちろん、 他の人たちはあまり面白くなかったようですが。
私の旅行も、帰国の日が近づいてきました。この日記を書いている今も、そのときの複雑な気持ちが 浮かび上がってきます。多くは、その旅行で知り合った人や、単に見た人です。 特に印象に残っていることを書いていくと。
高速の陸橋の下で目があった浮浪者、あの人はたぶん日本人ではないかと思う。普通なら、何か恵んで もらおうと悲しい顔をするか、手を合わせてワイをするのに、彼は目があってしばらくすると 背を向けて去っていった。 私はとっさに、どうかしたんですかと日本語で言いそうになったけど口からは出なかった。そのとき私は、 人を見捨てたような気持ちにもなったし、何か見てはいけないような物を見たような気もした。 たくさんの人がそうやって行方不明になっていくのかななどとも考えたりしました。
恰幅のいい警官が私の知り合いから、50万バーツの現金を隠すように受け取ったのも見た時は、 どこの国でも同じなんだなと思ったりした。でも一方では、ほっそりした 警官があの空気の悪い交差点で、ずっと交通整理をしてるのんですよね。
昼間から、女の人に How much?と何度も聞いている太った白人もいた。いくら売春が盛んなエリアでも 昼間から大声で言うことはないと思う。もちろん女の人は、早歩きで逃げようとしていた。 私に、2、3度会っただけなのにI miss youと言うタイの女の子もいた。飲み屋の客としてみられているのか、 本当に友達と思って言っているのか分からない。そのときの、私は思わず笑ってっしまったけど。
笑顔のすてきな遺跡公園の掃除をしているおじさんもいた。こんな暑い中を一所懸命に掃除をしても、タイの中でもたいしたお金にはならないことは後で知った。 一緒にいたおばさんは、こんな格好では、恥ずかしいといって写真を撮らせてくれなかった。 こんな事で恥ずかしがる人が、私にはすごく新鮮に感じた。
私の知らない人がたくさん居た。その人たちに対して、いい印象もあれば、嫌悪したくなるのもあるけど、 いろいろなところへ行ってたくさんの人に出会いたいと思った。 そして、私の今までの日本での生活が、とても狭いところだけで営まれていた事に気がつきました。 このようにしてタイという国と私のつながりが出来たのです。でも、まさかチェンマイに住むことになると は、全く思っていなかったんですが。
本当に、記憶が蘇ります。陸橋で見た当時30歳くらいの男の人の顔がまさに蘇りました。映画の中のような情景でした。はっきりいって睨まれていました。今考えても、日本人か、韓国人のいづれかだと思うしタイに逃げてきた人なのかと思います。2024年の現在は、ほぼいなくなりましたが、以前は借金をして逃げてきた人や恐らく犯罪を犯していると思われるような人が多く居ました。そういう方は、お酒が入ると豹変する方が多く居酒屋などで出入り禁止となっていることが多くありました。
心のゆとり
二度目の旅行も、もちろんタイにしました。 前回の旅行中に風邪を引き満足に観光をできなかったからです。今回のプランは、バンコク、アユタヤ、チェンマイの3 箇所を廻る予定です。ホテルは、数日分はあらかじめ予約していきました。予算の都合上 飛行機は、BG(ビーマンバングラディシュ)を使い、タイ国内の移動は時間があればバスと電車を使って移動するつ もりです。それにしても、BGはすごい。乗って来る人がUA(ユナイテット)のときとまるで違う。 成田から乗った時点で、海外にいるような気さえする。この匂いはたまらない(香辛料のような匂い)。間違いなく、機体に染み付いてる。
約半年ぶりのバンコクは、相変わらず車の排気ガスと騒音に包まれていました。さびれたショッピングセンターをぶらついたり、フードコートや屋台で食事をしたりと、なるべく観光客がいないようなところに行ってみました。はじめは少し怖いような気もしましたが、慣れていくうち にこの雰囲気がとても心地よいものに変わっていきました。何をするわけでもなく、目的もなく ただ、自分のしたいと思うことだけをすればいい。周りの人も、無関心のようにほっといてくれる。 喧騒に包まれた中でも、頭の中は音楽が流れていました。
子供の大人
バンコクからスコータイにバスで移動しました。 単なるAC(エアコン)バスでしたが、客が少ないので 静かで楽でした。近くに座っていた青年は、私がリクライニングした後、同じ様にリクラ イニングしたのですが、背もたれが動いた瞬間かなりあせったような顔をしていました。 まるで、漫才か何かをやっているようでした。 今思えば、椅子を壊したと勘違いして、 あんな表情をしたのだろうと思います。貧富のある国ですから、20歳くらいになるまでリクライニング のできるバスに乗ったことがなくても不思議ではないと思います。 タイには大まかに3種類のバスがあり、ACバスは真ん中のランクになります。値段も、非常に安いんですが現地の人からすれば、そんなに安いも のでもないのかもしれません。
スコータイに着くとあらかじめガイドブックで調べておいたホテルに行きました。暗くなる前に 町の様子を見ておきたかったので、少し外を歩いて見ました。しばらく歩いていくと、小さな川の側に出ました。きれいな夕日を見ることができて、すごく得をしたような気になりました。 よく初詣の写真にあるような感じです。近くで屋台が準備をしているので、このあたりが町の中心部なのだろうと思いました。 突然、タクシーのドライバーと思われる人が話し掛けてきて、遺跡の観光案内を800バーツですると いうので、せっかくだからお願いしようかなと思ったのですが、午前中だけで、しかも城壁内だけだと言うではないですか。全部見たらいくらなんだと聞いたら2000バーツというので、とりあえず1200にならないかと 言った ら、軽くあしらわれました。(なんとなくタイの物価は分かってきていたので、2000バーツ というのは相場の3倍くらいと思ったのですが、自分で、いろいろ動くことを考えると 多少高くても仕方ないかと思って1200バーツと言ったのに)あまりに足元を見すぎるやつだと思い。 バスと自転写を使って見るからいいといって断りました。そのときのドライバーの顔は、び っくりして声も出ないといった感じでした。何もそんなに驚かなくてもいいと思うのですが、 私の雰囲気から、値段にかかわらず乗ると思っていたんでしょう。
翌朝、頼りないガイドブックの情報で、町のはずれのバス停まで行きました。ソンテウに 乗ったのはこのとき初めてでした。このときは、また町に戻ることがちゃんとできるのかなという 不安でいっぱいでした。というのも、客がいなければ、客が来るまで待つようだったので、もし 帰りにだれも遺跡から帰る人がいなかったらどうなるんだろう?という考えが浮かんでたからです。 遺跡のゲートの手前にあるレンタルサイクル屋で自転車を借りて、遺跡を巡りました。遺跡公園は 思っていた以上に、きれいに 整備されていました。まだ時間が早いせいか観光客もほとんどいないので、気持ちよく見て廻る ことができました。 主な見所は、すべて見終えたころに雨が降り始めました。意外と激しい雨だったんで、1時間ほど 足止めを食らいました。その後、案外簡単に客を乗せて走っているソンテウを止め町に帰ることがで きました。
明日発のチェンマイまでのバスのチケットを買おうと思って、バスの会社?のようなところで訪ね たところ 「明日になってから買いなさい」。と、強く言われたので次の日行ってみると、もうACバス はないから、明日のチケットを買いますか?と言われた。私は、タイ語の発音がうまくできないので、 「ACバスでチェンマイまで」、と書いたタイ語のメモを昨日見せていたのにこれだ、まったくあきれたものだ。 仕方がないのでローカルバスでチェンマイまで行きました。途中途中でよく止まるし、白人の人たちは匂いがきついし、外のほこりは入ってくるしで、まったく参った。別に貧乏旅行をしたくて 来ているわけではないんで、すごく損をしたような気がしました。
今振り返ってみて、タイのほかの地域の人と比べてスコータイの人たちは人懐こい。 特に、食堂で働いている人は、いちいち微笑んでくれる。それに、外人に対してすれていないと思う。 ある意味、子供のときの心を大人になっても持ち続けられる町なのかなーとも思ったりした。 逆に考えると、あまりいい意味ではないかもしれないけど・・・。
マイペース
チェンマイに着くと、日本で予約していたホテルに行きました。 結構こぎれいなホテルで日本の団体も来るようです。早速町の中を歩いていくと、都合のいいことにちょうど本屋があったので地図を買いました。でも、大雑把過ぎてあまり役に立ちませんでしたが。 こちらの人が、地図を見る習慣がないと知ったのはそのずっと後でしたが。
とりあえず今日のうちに現地ツアーに申し込んで、明日から主なところを観光しようと思い、ツアーデスクを探しました。はじめはガイドブックに載っているところを探しましたが見つからず、結局疲れたのでホテルのすぐ側にあるところに申し込みました。 受付の人が、いろいろと観光地のパンフレットを見せてくれるのですが、私は1人だし遺跡やお寺だけで 十分なので、その旨伝えるとグループではなく個人で行くことになるようでした。私は、料金さえそれほどでなければかまわないので料金を調べてもらうと、たいした額ではないので行くことに 決めました。
次の日、ホテルのロビーに行くとガイドの人がもう待っていました。タイの人は、 時間にルーズな人が多いと思っていたのに、人にもよるんだなと思いました。というのは、前回の旅行のときや今回の旅行でも30分から1時間遅れるのは当たり前、代理店の知名度や信用には関係なく遅れていたからです。ところで、このガイドは日本語可のはずなんですが、不思議とぶっきらぼうな言い方は分かってくれるんですが、丁寧な敬語を使った言い方はまったく分からないので 逆に疲れました。チェンマイのお寺や遺跡は、いまいちという感じでしょうか。バンコク・アユタヤ・ スコータイのような、荘厳な感じはなく、近所のお寺や古墳といった感じのレベルでした。 一通り有名どころを見た後、ボートでリバークルーズをしました。ツアーそのものはたいしたことが なかったんですが、ガイドの人とタイの人の暮らしや考え方などなど、それなりに楽しい会話をしたので よかったです。それにしてもこちらの人はのびのびしていていいなと思う。収入は、少ないようだけど 精神的には豊かな気がする。ガイドの人も言っていたが、日本の工場で通訳をしていたときは大変だったらしい。そりゃそうだろう、どう考えてもチェンマイの人が日本人のようにせこせこと仕事をするとは思えない。バンコクの人なら日本人のように働いても大丈夫かもしれないけど、こちらの人を考えると・・・。 だからタイが日本のような 経済だけ立派な国にならなかったんだろうと思います。(そういえば、さっきの代理店の受付の人が、2000年には、私の妻になります。
酒豪の訳
個人的にタイ関係のHPを作っている方と「もしかしたらチェンマイ で会えるかもしれないですね」などとメールのやりとりをしていたので、その方がチェンマイに行った時に行くバーにいったところ、本当にいました。 聞くところでは、お昼の2時ごろから飲んでいるそうです。どうもこの方は、仕事が非常にハードなようで日本からタイに来て疲れを癒しているようでした。私のように観光をしている人もいれば 、タイまでお酒を飲みに来る人もいるのだなと思いました。日本では世間の常識があって、 その常識の中で生活をしているとストレスを感じる人などを、タイという国はそういった方達も惹きつけるのだと思いました。私もこのときすでにその一人にな りつつあったのですが。
Hello from Chiangmai
7月のある日、いつものように事務所のパソコンでメールのチェックをしていると、 見たことのない差出人がいました。 もしかしたら、ウィルスか何か入っているんじゃないかと思い、いちようその手のソフトにかけてから見てみると、何のことはないチェンマイの代理店の受付の子でした。デジタルカメラの使い方を教えてあげたので、その時のお礼と今度チェンマイに来ることがあったら食事にでも行きましょう と書いてありました。返事を出すと、次の日にはまた返事が、その次の日もまた。 こんなことを2ヶ月ほど続けた後には、再びタイに行く約束をしていました。
気がつかないうちに、タイという国に引き込まれていったようでした。