アンタルヤ
10月16日
トルコへの移動の日。安いチケットを買ったこともあり、目的地に着くのが夜の9時半。ホテルまでの道順は事前に調べるだけ調べたが、時間が遅いこともあり一抹の不安もある。振り返ってもルーマニアは今一だった。やはり人の暗さが問題だと思う。
パスポートを見返しながら、今まで回った国を見返してみたが既に懐かしいと思っている。初めてヨーロッパの建築を目にしたロンドン、ごつい人が多かったアイルランド、各々の国でそれなりに印象は残っている。いつも思うことだが、この旅が今後の何かの役に立てばと本当に思う。
イスタンブールでアンタルヤ行きにトランジットする訳だが入国で酷い列だった。入国のスタンプをもらうまで、搭乗開始時間を15分過ぎていた。かなり慌てたが、出発時間には搭乗口に着くことができた。ヨーロッパに比べるとこちらは早いもの順で順番を皆守らない。特にセルビア方面の人が酷いようだった。
ホテルに着いたのは夜の11時半。空港からのバスで小銭がないので払わなくていいらしい。降りる場所が分からないから、その辺の乗客に聞きながら降りて、バス停から薄暗い道を歩いてきた。治安がイスタンブールと比べても良いようなので、本当に良かった。これがルーマニアだったら1キロの道のりでもタクシーを使っただろう。まあ、タクシーも問題が起きる可能性は高いが路上で問題になるよりはよほどいい。
10月17日
ひどい雨。日本で言うと豪雨。タイで言うと普通の雨が1日中。海岸沿いの街で風も強いことから、とても傘を持って外に出られる状況ではない。たまたま私用でやらなければならないことが有ったのでそちらに集中して外にはほとんど出なかった。
どうでもいいことだけど嬉しいことがあった。やっとパンが主食の国を抜けた。もちろんトルコもパンがメインに近いかもしれないが、よくインド料理で出るようなナンというものだろうかあれが多くなる。また、野菜類も普通に出てくるようになる。
10月18日
今日は晴天。ただ、昨日の雨のせいで道がまだ濡れていると思い博物館に行った。
当初は、路面電車で行こうとしたがホテルの人から綺麗だから海岸を歩いて行ったほうが良いと言われ博物館内で歩き疲れるだろうと思いながらも歩いて行った。
博物館は、なんといえばいいのか、ロンドン・ウィーン・ベルリンで見たものの残りを見ているような感じがした。言い方悪いが残りかすと言ってしまったほうが良いのかもしれない。複雑な気持ちがする。結局、強国はその他の国の良いものを多く持ち去って行ったことを再確認したようなものだった。
博物館からの戻りは海岸沿いを歩いてみた。やはりリゾート地と言われるだけに独特の景観と海が綺麗なことが印象的だった。岸壁から釣りをしている人が多く見えたが、何となくあまり釣れていそうもなかった。せっかくなので途中から人通りのある道に入っていくとバザー?がやっていた。主に野菜と果物の露店だが、皆声がでかい。活気があって良いし、盗難を気にするような鞄の持ち方もしていないので安心して写真も撮れる。その中に中学くらいの子が頑張って商売をしていた。声変わりがまだしていないのかちょっと甲高いが、必死に見えた。私は、小さいころ何も手伝いをしたことが無かったが、小学生時代、家が商店をしている友人がいて面倒見がよくしっかりとしていたのを思い出す。ただ、異常に頑固だったが。
T-1 観光船用の港
T-2 岸壁側からの海
T-3 岸壁の様子
T-4 西側の海岸(砂というより石のよう)
T-5 東側の街並み
T-6 猫注意の看板(猫小屋が所々にある)
T-7 日没間際1
T-8 日没間際2
T-9 博物館で一番きれいに飾ってあった像
10月19日
カレイチと言われる、Old Townに宿を変えたこともあり、その周囲を歩いてみた。確かに雰囲気は良いが単に古い街並みというだけかもしれない。ウィーンはともかく、チェコやスロバキアなどと比較しても本当に質素というか比較するべきでないと思う程の違い。トルコは、アジアとヨーロッパが混じった国だとよく言うが、実際にイスタンブールとアンタルヤを見た感じでは、中東とアジアが混じった国といったほうが正解だろう。そういう点では、ブルガリアも微妙な感じでハンガリーあたりが、アジアとヨーロッパが混じっているように思えてしまう。人それぞれ感覚が違うのだから仕方ないが、街や人の雰囲気という点から考えてイギリスをヨーロッパの基準、日本をアジアの基準と考えると上記の感じかと思う。
アンタルヤで思うのは海が綺麗なこと。入ったわけでないので本当のところは分からないが見た感じは、タイのプーケットと同じくらい綺麗なのではないかと思う。おそらく相当厳しい基準があるのかと思う。タイでも基準はあるはずだが、うるさくない場所ではボート等を頻繁に使うようになるのでホワイトサンドと言われていた海岸でも3年ほどで汚くなる。日本もそうだったらしい。海のそばで住んでいる友人の話だと小さいころは、透き通って下が見えていたのに中学位になったときは全く見えなくなってしまったと言っていた。身長も変わるから一概に比較できないがあれだけ広い海がやはり数年で変わってしまうのだから、すごいものだと思う。
T-10 カレイチ内にある遺跡
T-11 観光用の港
T-12 日没直後
T-13 カレイチの外れの通り
T-14 カレイチ中心部近く
10月20日
路面電車で終点まで行き歩いて戻るようなことをしてみた。意外と、街そのものは小さいようで商店等が中心地に集中している感じがする。海岸沿いは相変わらず綺麗。この国の岩の性質なのか波打ち際では、岩がキノコ型になっている。カッパドギアもそうやって作られたのだろうか。外れのほうに行くと物乞いが多く居るような気がする。中心地は警察に排除されているのだろうか。
物乞いに対して、私はほとんど施しをしないようにしている。大きな理由はそれで生活ができると何も努力しなくなるためだ。施しを多くもらえる人はその国の平均収入を超えるくらいになる。嘘のようでホントの話。以前にも書いたかもしれないが、昔のタイでの話だが家族持ちで運転手まで雇っている人が物乞いで生計を立てていたことが発覚し、その月収は良いときで50万円ほど。当時の平均の10倍弱だった。タイでは、今でも同じ人が少しずつ場所を変えて物乞いをしていることもある。施された水や食べ物などは返すくらいで金をくれと言うしまつ。たいてい年配のおばあさんがそういったことをしている。数か月やっていればさすがに私でも覚えてしまう。最近は、近隣国から物乞いの出稼ぎが多いので、警察も動き出してタイ人の物乞いはかなり減ったと思う。そういった訳で、ほとんど施しはしない。ただ、楽器を弾いている人や、何かをして稼ごうとしている人、或いは、ひどい病気やけがで働けない人には、場合によってはあげるようにしている。
T-15 アンタルヤ東部
T-16 東部の海岸沿い
T-17 猫の家(公園などに時々ある)
T-18 アンタルヤ北西部
T-19 おそらく掘削した後(土留めなしで崩れていない)
10月21日
昨日歩きすぎたのか足がだるい。実は少しでも体を動かそうと思って、腹筋・背筋・腕立をしているのだが昨日はそれすらせずにすぐに寝てしまった。朝になっても今一。本当は、スモールシティというモスクや主要な遺跡のミニチュアがあるところに行こうと思っていたのだが、やめてしまった。
この前泊まったホテルの受付が、年代が近くくだらない話をすると楽しいので行ってみた。話の中でトルコでも家族が同じ部屋に居ても、携帯・ゲーム・テレビなどで会話が全くなくなっているらしい。日本ではそれほどひどくないと思うが、タイでは多少問題になっていると思う。私なども、周りからはパソコンやネットの接続がないとダメなタイプと思われているようだが、実際は意外と平気。携帯は昔から嫌いで、よく忘れたり間違って洗濯したりゴミで捨ててしまったりしたものだ。パソコンやネットも仕事の関係がなければ、旅行中や出張中は触らない。今回の旅では、ホテル・チケット・地図、観光地の確認など大活躍しているが、行く前は実は持っていくつもりが無かった。ただ、仕事の関係で、CAD等を使わなければならなくなりそうなので持ってきたまで。ちなみに、中古で6000円で購入したものに多少使えるように改良しただけ。今回の旅で使いきりで良いと思っていたので。もし故障しなかったら、誰かにあげるつもりだったので、最初から英語版。余計な話が長くなったが、パソコン・タブレット・携帯・携帯ゲームなどトルコに於いても必ずしも良いものではないようだ。彼の場合、それに気づいているから良いものの、子供に対してどう対処すればいいのか分からないないようだ。私の場合、変なところが成長してないのか、子供と一緒にゲームしたりアニメを見たりしている。一緒にするので、私の場合会話がなくなることはないのだが、彼の場合は一緒に何かをするということがないようでいろいろ試してみても結局会話がなくなるようだ。
日本とトルコで決定的に何かが違うことを彼が説明してくれたが、その例は、ある番組で、日本の社員が事故で亡くなったとき会社の代表がその家族に涙を流しながら謝っていたこと、もしトルコでは100人死のうが1000人死のうが、代表は何とも思わないらしい。どうしてそうなのか聞きたくても、彼からすればすごく当然のことなので日本のほうが不思議というか感動したらしい。たぶん日本が変わっていて世界がトルコと同じだと私は思う。海外で数年日系でない企業で働くとたぶん日本が変わっているように思うと思う。私は2年しか働いたことないが。
アンカラ
10月22日
首都アンカラに移動。トルコでの移動はすべて飛行機。本来、バスなどで移動したほうがその国が見えていいのだが、距離が長いこと、値段に差がほとんどないこと、極めつけは煙草を吸う人がいることこれらの理由でやめてしまった。ルーマニアでの僅か1時間位でも車内での煙草は結構きつかった。飛行機から眺めるトルコ内部はまさに岩と土。緑が全く見当たらない。実際は、茶色の草が僅かに生えているので植物がないわけではないが、雨が少ないだけでここまで変わる物なのかとしみじみ思った。
話は変わるが、少し前まで話題であったろう半沢直樹というドラマを見てみた。確かに面白いと思うが、こんな内輪のことで能力を使っている日本の企業の将来はあるのかと思ってしまう。日本で働かなくなって10年弱、ある意味良かったと思ってしまう。私の弟も業種は違うが未だにこんな世界でやっているのかと思うと、給料や生活面は良いだろうが本当に幸せなのか疑問に思う。そう、ドラマの主人公である半沢直樹ってホント幸せなの?何となく、他人から見て良いと思えばそれは幸せなことだと思っているのではないかと思ってしまう。
私は大学卒業後、中小に入るのか中堅になるのか、普通の会社に就職したものだが、3年少しでやめてしまった。今考えると理由は入社時から数年でやめるために小さな会社を選んでいたこと、つまらないこと実家のほうで共に働くことを親が小さいころから望んでいたことだったように思う。でもその当時はくだらない上司の元で仕事をやりたくなかったことが大きかったように思う(これは1人ではなく、本部や現場いろいろなことをやってきて直属の上司だけでなく指示する人が多く居たのでどこに行ってもこの会社ではつまらないと思ったという意味)。かなり我儘だと思うが、逆に自分に素直なのかもしれない。よく上司や上から言われたことで「俺を誰だと思っている」「なめているのか」「おまえなんて居ても居なくても関係ないんだ」「1分ごとに喧嘩をしかけてくる」あまり気にしていなかったのでよく覚えていないが、上司となるほぼ全員に同じようなことを言われたように思う。まあ、自分では正しいと思うことを言っているだけなので(本当は間違っているかもしれないが)結局怒鳴ったところで、私の主張や意見を覆すことは1度もなかったが、或いはあきれてそれ以上追及しなかったのかもしれない。場合にもよるけど本当に筋が通っていて会社や顧客のためになることなら、きちんと言ったほうが良いのかもしれない。ちなみに、研修などは同期ではなく2~3年上の先輩たちと一緒に受けていたくらいだから、そう怒鳴られていた割には期待されていたのかもしれない。
まあ、会社に入ったからと言っても、歯車の1つにならなくていいと思う。そうならない1つの方法は、他の人がやりたがらない、或いはできないことをやって行けば自然と歯車でなくなってしまう。私は、おそらくそういったことで、他の人ができないことをするようになったため、今のような考えができるのかと思う。実際、1つ1つのスキルはたいしたことないが、広範囲にできる人はそれほどいないと思う。そうなるためには、相当の精神力が必要だし、体もそこそこ鍛えておかないと続かない。それに、バカにされようとけなされようと人から教えてもらうてもらうために頭を下げることも必要になる。ほんと、私も3回くらい禿そうになったし、20代ですでに白髪が相当あったから。この旅で、また髪が濃くなってきているような気がする。
T-20 ホテル近くの市場 ほんの2秒くらいで写真を撮っているはずなのに妙にタイミングのいい人が写っている(食品・衣料・電化製品・ベビー用品などが区域で分かれているようだ)
10月23日
特にどこに行くという予定もしていないが、念のため空港行きのバス停の確認をしに行った。実は昨日買った、20回使える(地下鉄もバスも通常のルートはどこまで行っても1回な国です)カードを折り曲げてしまい、機械での読み取りができなくなってしまった。チケット売り場で聞くと、中央駅に行けば換えてくれるが、ここではできないというようなことを言っているようなので、とりあえず一番安い券を買おうとしたところ、さっきの券をよこせと言っているので渡すと、机の上でコインをこすり付けてしわを伸ばしている。これで試せというので、機械を通すとなんと問題なく動いた。私が通れたと目くばせすると、窓口の人は思わずガッツポーズをしていた。なんとローテクな方法なんだろうと思いつつ、おそらくこの窓口で直してくれそうだと思うところへ行くと、相当数の人がチケットを変えてもらっていた。チケットそのもの作りに問題あるだろと思う。
バス停を確認した後、街の中心であるから少しぶらついてみたが煙草の煙が酷くでたまらない(ちなみに室外です)。道行く人の3割位煙草を吸っているのではないだろうか。当然投げ捨て。また、道路の横断がすごい。赤信号で車が止まっている時に行くのは良いが、車来ているだろ、で、車もクラクション鳴らしはするが止まるので他の人がどっと渡りだす、すると後ろの車がまたクラクションを鳴らし渋滞になっていく。人でなくて車でも似たようなものなのだがこの辺りは完全にアラブ方面の影響だろう。自分優先。
こちらに来てから知ったのだが、泊まっているホテル周辺には博物館や観光の名所が結構あるようだ。その1つの山の上の遺跡でここもOld Townと言われているような場所のようだがはっきりした名称が分からない。街を見下ろせる高台の遺跡なのだが、景色はもちろん、その周辺の家々がまた趣のある感じ。たぶん100年位前とほとんど変わっていないと思う。ここの細い道を歩いて思い出したのが昔の赤塚駅周辺。水戸駅の隣の駅で今は小奇麗になってしまったが、前はひどく小さく周辺も薄暗い細い道があった。
本当に私たちは身近なものの価値が分かっていないと思う。あの薄暗い少しじめじめした感じだけど懐かしい場所の写真を1枚でも撮っておけばよかったとよく思うことがある。赤塚駅周辺だけでなく、たとえば数年過ごしたアパートとか、昔住んでいた家とか、そういったものはその時は何とも思っていないがなくなるととても懐かしいものであるはずなのに、旅行でたった1泊した部屋なんかの写真を撮ったりする。なにかものすごく間違ってきているように思えるけど、なにを間違えてきたのかさえよく分かっていない、そんなことを考えた。
T-21 アンカラ中心部1
T-22 アンカラ中心部2
T-23 北東方向
T-24 北西方向
T-25 遺跡の中でサッカーをする子供たち
T-26 アンカラ中心方向の西側
T-27 幼いころを思い出した小路
T-28 多くの朽ちた家(トルコの大部分はこうなのかもしれない)
10月24日
どういった場所か分からなかったのだがアタテュルク廟に行ってみた。トルコの初代大統領の霊廟で、国の英雄の墓といったところだろうか。こういったところを見ると、なぜ日本には英雄といった人がいないのかと思ってしまう。実際には、そういった人はいたと思うが、あまり表に出てこないのかと思うし、歴史は常に勝者の物で敗者が残した歴史で残っている物はほとんどないはずだ。日頃から思うことが、日本で戦犯と言われている人たちが本当にそうだったのかという疑問がある。常にアメリカの指示で残された歴史であり本当のところはよく分からない。最近は、いろいろな事実が明らかになりつつあるが、数十年経ってからのことがほとんどのようだ。最近と言っても相当前だが、イラクの大量破壊兵器などはいい例だと思う。CIAの誤情報ということでかたずけられてしまっているが、そんなことでイラク進攻に踏み切る訳がない。ただ、何らかの理由が欲しかっただけなのだろうと個人的には思っている。映画グリーンゾーンがあるように、火のないところに煙は立たないということわざのように、もっともらしい中に、いろいろな裏があるかもしれないことを常に思っていたいものだ。
話が、相当訳わからなくなってきたが、歴史もしかり、その国の人を知るのもしかり、身近な人の考えもしかり、意外と本当のところは分かっていない。そんなことを常に考えていたら疑心暗鬼で何もできなくなってしまう。個人的にはどこかで、信じ切るしかないと思う。信じたものに裏切られたと感じることがあってもさらにバカ正直になるしかないと思う。
そんなことを、ぼんやりと考えさせられる場所だった。
T-29 アタテュルク廟(中心にある墓)
T-30 アタテュルク廟広場
T-31 アタテュルク廟(中心にある墓内部)
10月25日
アナトリア文明博物館に行ってみたが特にたいした物が有る訳でもなかったのだが、昔の写真は興味深いものだった。おそらく70年ほど前かと思うが、この博物館周辺は荒野のようだったようだ。人の表情も、明らかにアジア系が強い人の写真。今のように中東のほうの感じは強くないようだ。
今までこの旅を含めて、15か国位訪れているがトルコほど外人だとすぐにバレてしまうことはない。たいてい、その国に住んでいるアジア系の人だと思われるのだが、ここではすぐに旅行者と分かってしまうようだ。雰囲気が違うのだろうが、どう違うのか分からない。中東系の影響の強い国かと思うがしぐさで違和感を覚えるのは良くウィンクすることと、手を体の前で上に向けてひらひらさせることくらいだろうか(ブルガリアやローマニアでも同じ)。
T-32 よく分からない計測機器(電流計関連の物のようだ)
T-33 昔の工房の再現(中央は結構良い雰囲気の人形です)
T-34 人体内部を工場のように表現するのは分かりやすいのか?
T-35 昔はこのように荷を運んだのだろうか(おそらく白黒の写真に色付けしたのかと思う)
T-36 このような城壁がかなりの距離で囲っている
イズミル
10月26日
アンカラでは、どうも息切れが酷いのと、偏頭痛がするので、もしかしたらと思っていたら、やはり標高が高かった。850m、ソフィアより高い。歳のせいか、標高が高いと3日目位から偏頭痛がする。今までの生活で、標高が高いところで、数日過ごしたことがなかったから知らなかったが、気圧のわずかな違いでこんなにも体に異常が出ると思わなかった。飛行機だと1万メートルくらい上がるけど、気圧はある程度保たれているし、時間が短から平気なのだろう。今日は、イズミルへ移る日。標高が低いのでなぜかホッとする。
商業都市とのことらしいが、宿泊したホテルの周りはホテルだらけ。さらに奥に行くと、携帯、工具などよく分からない店が増える。何となく活気があるようでその点は良いと思う。アンカラと違い物乞いする人はこの周辺ではほとんどいないようだ。
10月27日
当初イズミルは遺跡が多くありビーチも近いというイメージであったが、そういった場所に行くには30キロ位あり、ツアーなどに参加しないで行くとなると結構大変のようだ。もちろんそういったものに参加つもりはないので、遠いところはあきらめて地下鉄であちこち動いてみた。
市街地を走っている電車のほうでは、特に特別に感じることがなかったが、空港を通っている路線のほうは、意外と遠くまで行く、1時間半ほど走るので、何もない山々に囲まれた畑を見ることができた。さすがに乾燥した気候であるため風が吹くと砂塵が舞い上がり景色は靄がかかったように見える。それにしてもこの電車、こんなに遠くまで伸ばしてさらに最低でも20分間隔で出しているようだが採算とれるのだろうか。ちなみに、イズミルではヨーロッパの一部と同じように時間で課金される。1回乗車または90分で110円位。
T-37 クロックタワー。一応観光ガイドなどになっているが、特別な何かはないようだ。
T-38 イズバーン(電車)から。イズミル北側。
10月28日
市内にある博物館とのことで、オープンエアー博物館というところに行ってみた。発掘中の一部を開放しているだけでいろいろ見てきた私からすると特段何も感じない。確かに、屋外なので、そのままのものが見れるので良いのだが、何とも手抜きという感がある。
次に、海側のショッピングセンターに行ってみたが、なんというか中途半端で今一つ、高級なのだろうが、安っぽい。奥の方に行くと海に突き出して、レストランが有ったので入ってみた。ほかの客が食べている物を見るとおいしそうなので、食べてみたのだがこれがまずい。肉料理を頼んだのだがアイルランドを思い出すまずさ。でも値段は一流で、現地の人が普通に食べている値段の5倍から10倍くらい(そうは言っても3000円弱なのでロンドンやアイルランドの安レストラン程度)。良く見るとこのレストランに来ている現地の人は飲み物しか頼んでいなかった。まあ景色が良いからいいとしよう。
T-39 展示物の上部から
T-40 展示物内部から(地下になります)
T-41 多くは軽石のようなものでできているが、模様と関係なく大理石なども混じっている
T-42 接合部には一応溝が彫られている
T-43 西側の展示物
T-44 博物館近くの小路(あまり良い雰囲気ではないと思う)
T-45 高い割においしくなかったレストラン。でもロケーションは良いと思う。
T-46 イズミルの港近くの公園
10月29日
ホテルを替えるのであまり外に出なかったのだが、日中は市場を回って夕方には日没を見たいと思い、海岸に行ってみた。なぜか分からないが、国旗を持った人が大勢いる。今日は何かあると思いながら、日没を見ていたのだがやはりこういった景色は良い。タイのビーチで見たのが一番きれいだと思うが、こちらは2番目、日本海で見たのは残念ながら3番というところだろう。それにしても、国旗と人が多すぎる。ふと見ると警官が100人位いる。もしかして何かのデモかと思い早々と部屋に戻ったのだが、花火などが打ち上がっているので調べたら建国記念日だった。日本の地方で建国記念日に国旗を持って建国の碑とか銅像などに集まることなどあるのだろうか。日本位愛国心を表現しない国はないと思う。日本は嫌いだけど生まれ変わるなら日本が良いという人が実は多いらしい。すごく矛盾していると思う。日本を好きだということがタブーとなってしまっているような風習があると思う。私は、日本が好きとか嫌いよりもすごい国だと思っている。また、小さいころから生まれ変わるなら、チーターなんかが良いかなと思っているので、そのあたりは変わっている。
T-47 日没間近1
T-48 日没間近2
T-49 日没間近3
T-50 デモかと勘違いした建国記念日を祝う人たち
10月30日
イズミルを見渡せる山というか丘に登ってみた。もちろんバスとか通っているし、頂上は城壁の遺跡となっているがその付近にも普通に皆住んでいる。歩いて20分くらいだが、けっこ勾配があるし階段も段数があるのできつかった。頂上付近から見る景色は良いのだが、今日はいつもに比べても砂塵が舞い上がっているようで霞んでよく見えない。今回見た城壁はアンカラと比較してたいしたことなかった。それより、物乞いしている子供がずっとついてきていやだなと思ったり、マリファナ吸っている4人組から一緒に吸わないかと声をかけられたり、あまり良い場所でなかったのかもしれない。写真でもあるように、それほど治安が良さそうに見える場所でもないかと思う。
T-51 20分でこの高さまで登ってしまう
T-52 城壁西側
T-53 城壁内部にある洞穴のようなもの
T-54 東側に位置する崩れたままになっている城壁(マリファナの4人組はこのすぐそば)
T-55 北東方面の見晴らし
T-56 城壁上部の様子
T-57 このような井戸があちこちにあり今は塞がれている
T-58 近くで巨大なキャベツが売られていた
T-59 城壁近くの住宅地の様子
T-60 このような階段だらけだった
10月31日
昨日の疲れが残っているのか足がだるい。中心から離れた郊外の商店街に行ってみたが、これというのは無かった。ただ、この国やブルガリアなどはあまり大型のショッピングセンターがなく、個人商店がメインという今の時代では珍しい形で市街地が作られていると思う。
ところで、旅ももうじき終わりになるのでなにかおみあげになるようなものはないかとぶらぶらしてみたのだが、はっきり言って、どこでも手に入る物しかない。後でトルコの一般的なお土産を調べてみよう。
めろりんきゅーで名を馳せた山本氏の話題で騒がれているようだが、やり方が良いか悪いかともかく、行動を起こしたことについては評価できると思う。今、その方法が良かったか悪かったか判断するのは難しいと思う。たぶん、10年ぐらい後に、本当に原発がすべて完全廃炉になったとしたら評価されるのではないだろうか。その逆だと非難されるだけだと思うが。彼は、彼なりのできることをしたのだと思う。あまりスマートなやり方でないことは事実だが、自分の未来を顧みない行動はある意味賞賛できる。私の身の回りの人で、本当に自分が良いと思うことを言ったり行動している人は皆無に等しい。今回の行動で、おそらく政治的なことはあまりできなくなると思うし世間的な批判も相当で簡単に言うと人生が終わってもおかしくない覚悟があったのかと思う。ただ、今注目されていることを利用してうまく乗り切ってほしいと思う。人間的にあまり好きなほうではないけどここで頑張ってほしいと思う。これだけの行動ができる日本人が他に何人いる?そういったひとたちが未来を変えていくかもしれない。ただ、山本氏のよく分からないところは、原発反対は分かる。私も停止したほうが良いと思う1人だし。どのように停止させていくかが問題なのかと思う。エネルギーの供給をある程度確保しながら、今まで原発で働いてきた人の雇用を確保しながら、新たなエネルギーの入手を探しながら・・・。各々のスペシャリスト達の素晴らしい案はもうかなり出てきているのかと思う。それをまとめるのが山本氏のするべきことではないかと思う。前座はいいからそろそろ本格的に初めて欲しいと思う。
T-61 なかなk趣のあるショッピングセンター
イスタンブール
11月1日
とうとう、11月になった。始まりと最後のイスタンブール。イスタンブール、この都市の名前の響きでどれほど旅に憧れたか。
イズミルからイスタンブールに行く途中で、最後に何を思うのだろうということだった。最後というのは、日本行の飛行機に乗って離陸する瞬間のこと。人それぞれ何かを思う瞬間というのはあると思うが、私が多く感じるのは、もう戻れない移動を始める刹那と、移動が終わった刹那が多い。17歳で初めてアパート暮らしを始めたあの夕方の感覚は今でも覚えている。何も知らない、誰も知らない土地でどうしていけばいいのか分からなかった。コンビニで何かを買うことすら新鮮に感じてしまうほどだった。初めてタイで暮らす時ドムアン空港に着陸した瞬間、本当にこの国で生活ができるのだろうかという不安。女房たった一人しか知らないで全く別の国で暮らすことへの不安。でもそういったことをクリアしていくうち自分が成長していることにあるとき気づく。やはり、負荷をかけていかないと自分は成長しない。今回の旅の初めは、それほど感じるものは無かった。ただ、ヨーロッパへ行きたいというぼんやりした物が現実になっただけという感じだろうか。
以前にも、少し書いたが秦基博さんの曲で朝が来る前にというのがあるが、「君がくれたこのぬくもりにこのまま触れていたいけど、もう後戻りはしないよ、そう胸のフィラメントに正直に」という一節があるが、ほんとしみじみ思う。なんで、苦労することに向かっていくのだろう。どうしてそうしなければならないと思うのだろう。どうして楽をする自分を許すことができないのだろう。まあ、親がそう育てたのだろうか。あるいはそういう遺伝子なのか。ほんと、いくつもの分岐点で、楽なほうを選んでいれば生活なんかは全く不自由しないようにできたと思うが、みじめな自分が残っていたことだろう。今となっては、これだけ我儘にしたい放題してきて生活が何とか成り立っていたのだから、これで良かったのだと思う。自分の心のままに判断ができることが何より自分を誇りに思える1歩だと思う。未だに自分のことをあまり好きになれないが、いつか自分のしてきたことをはっきり人に言うことができるようになりたいし、何よりこの世界が素晴らしいと思うようになりたいと思う。そういう人になりたいと思う。
11月2日
イスタンブールならここを見たほうが言いとうことで、アヤソフィアと地下宮殿を見に行った。アヤソフィアは、元々キリスト建築だったものをイスラムに変えたものらしく、十字架がうっすらと見えている。かなり大きい寺院だが現在は観光で公開されているだけのようだ。キリスト教関連の絵や彫り物はブルガリアで見たものとほぼ一緒。好みによるがどちらかというと向こうのほうが、神聖な場所の威厳もあるし私は良かったと思う。地下神殿は、6世紀ごろに造られた貯水池。ライトアップが綺麗に見せているが、柱は継だらけだし、あまりものを適当に使ったということが分かってしまうので、明るくしたら実際はたいしたことないように思える。ただ、聖徳太子の時代にこれだけの規模で作られたというのは案外すごいのかもしれない。
数日前に海峡をつなぐ電車が開通したので、行きはフェリー帰りは電車で帰ってきたが、こちらの年配の方は無邪気である意味良いと思う。席を取るのに競争し座れるとにんまりしている。開通したばかりで無料であることから皆話のタネに乗ってきているのだろう。
7月下旬に来たときによく行っていた食堂や、売店を覗いてみたが僅かの間に小奇麗になっていた。イスタンブールの経済は上向きなのかもしれない。明らかにほかの都市とは活気が違う。
T-62 アヤソフィア内部
T-63 イスラム側の模様(T-64と同じドア)
T-64 キリスト側の模様(T-63と同じドア)
T-65 アヤソフィア外観
T-66 地下宮殿
T-67 フェリーの船上から(エサ欲しさにカモメが並走(空?)する)
11月3日
スタンアルフメット(ブルーモスク)に行ってみた。こちらは実際に使われている寺院で、イスラム寺院としては最も美しいと言われている物。確かにバランスが良い。日本でも寺院建築は全体のバランスを考えた配置や大きさデザインを取っていることが多いがこちらもそういったことがあるのではないかと感じた。その後、デモでさらに有名になったタクシム広場に行ってみた。あまり興味がなかったため、ざっと見ただけだったが、乗り降りする人が多いことから、何らかの施設や、ショッピングセンターがあるのかもしれない。
ヨーロッパ各地を回った後で思うのは、この国の年配の人は道を譲らない人が多い。若い人がよけるのが当たり前と思っているのかもしれない。実際、若い人が肩にぶつかってしまい目くばせで誤ったにもかかわらず立ち止まって睨みつけていた。人の往来が激しいところで立ち止まるのもなんだが、これだけ人がいればたまにはぶつかるだろうにそういったことは関係ないようだ。店などでも、年配の人にウエイターがぶつかったりするとその店の上の人が謝っていたりする。
イスタンブールは、他の都市に比べて物乞いが多い。同じトルコの人が多いと思うが中には、ロマの人も交じっているように思う。また、スラム街まではいかないにしてもそれに近い場所が多々あるように思う。ほかの国や都市ではそれほど気にならなかったが、イスタンブールは別格だと思う。タイにもそういった場所はあるが、多少隔離されている感がありここからは入らないほうが良いようなことが分かるのだが、この国はその境が分かりにくい。
T-68 ブルーモスク内部
T-69 ブルーモスク外観
T-70 タクシム広場
T-71 北東方向の地下鉄終着駅から(地下鉄から地上に出るまでエレベーターを7回乗ります)
11月4日
イスタンブールはここ数年で、地下鉄が多く開通していることもあり、今日も北側の地下鉄と路面電車を乗って見た。路線沿いには数年内に作られたと思われる集合住宅が多い。だからといってそれほど人の気配がある訳でもないので、投資で買っているのか若い世代の人が住んでいるため仕事でいないのかはっきりしないが、昔の休日の幕張メッセを思い出す。また、工事をしていることと海から離れることも関係あるかもしれないが埃っぽい。私は、目と気管があまり強くないので結構しんどい。ひどい場所になると樹木の葉が茶色くなっているほど。地方に行けばいくほど地下鉄の利用客がいなくなる。日本で言うと、始発か終電30分くらい前の電車の感じといえば分かりやすいか。明らかに先走って作ってしまった感がある。また、駅のホームが無駄にデカいしエレベーターの乗り継ぎの回数がやけに多い駅がある。タイに住んでいることもありどうしても比較できるのが日本とタイになってしまうのだが、他の回ってきたヨーロッパというよりよく分かってないで想像になるがアジアの新興国の駅に近いと思う。おそらく、3割位余計にお金をかけたのではないかと思うほど広い。相当の時間電車に乗って思ったのが、席を譲る人と譲らない人の違い。ヨーロッパのほうでは、基本的に20歳から40歳くらいの男性のほとんどが席を譲る。トルコでも同じように見えるが、携帯をいじっているような人はまず譲らない。タイでも多少同じ傾向があるので想像なのだが、幼いころから甘やかされて来たような人は席を譲るという発想がないのではないかということ。電車の中を見ればそういった場面になりそうかないかは簡単に分かると思うが全く気にしていないように見える。どうしても、タイと同じようにしか見えなかったトルコ。この先大丈夫なのだろうか。
T-72 北側トラム最終駅近辺1
T-73 北側トラム最終駅近辺2
T-74 北西地下鉄最終駅近辺1
T-75 北西地下鉄最終駅近辺2
最後に
11月5日の最終日前ですが、あとは飛行機に乗るだけですので旅の話はここでお終いにします。あとがきを書こうとも思っていましたが、読んでいる人は僅かだと思いますのでそのうち何かの機会があったときにでも書けばいいかと思っています。
通常の旅のホームページやブログのようになんら情報は書きませんでした。日記程度に読み返した時自分がその気持ちを思い出せる程度には書き込んでいますが。自分が思ったこと、書きたいと思ったことだけ書いています。連絡有ったのは更新がないとき身内の者から風邪でも引いたのか程度のことでした。自分でもここ数年で気が付いたことですが、体と精神のバランスが良くなかったようです。精神的に弱いと思っていたのですが、どうも相当強かったみたいで体がついてこれなく、よく風邪とか体調不良を起こしていたようです。なぜそう思うかというと、私と同じことをこなせる人がほとんどいなくたいてい途中でやめてしまうからです。これは頭が良いかとかそういう問題ではなくて、何を言われようと続けることができるかできないかの違いだけで、言い方を変えると図太いかそうでないかの違いかもしれません。この旅は、計画通りに進めることが重要でしたので、体に負担をかけたり精神的に追い詰めるようなことは無いので、全く風邪をひきませんでした。よくバカは風邪をひかないなどといいますが、言い換えて、幸せ者は風邪をひかないといったほうが良いのかもしれません。もちろんこの旅をして自分が幸せだなど思いませんが、裕福だけどしがらみを断ち切れずにいる人、体が不自由な人、国そのものが貧しい人などから見れば、十分幸せなはずです。
旅を通して思ったことは、皆が裕福な生活を目指して進んでいますが、裕福になった後どこへ行くのだろうかということです。みなさんどう思います。私にはまだ分かりません。本当に富豪となっている人なら答えを知っているかもしれません。あるいは、家族が宝だと家族全員が思っている人たちも知っているかもしれません。いづれにしても、そこでは終わらないということです。生物は進化することを定めとされている物だと思っています。どこかで終わりはありません。とても苦しいことですが、いつまでも、いつまでも歩き続けなければならないと思います。
終わり