ブダペスト
9月25日
電車でハンガリーへ移動。バスを使わなかったのは単に直通のバスがなくブラチスラバへ戻ってから行くことになるため、来た道を戻るのが何となくつまらないので、電車にしてみた。もちろん直通は無いのだが2度ほど乗り換えていくことができる。直線での距離は200キロもないのだが、多少迂回しなければならないため待ち合わせの時間も含めて5時間位かかってしまう。
ズボレンの駅で最初から発車のホームが分からなくなってしまった。というのは、全体の掲示板にはプラットホームの番号が書いてあり発車するホームの番号ではなかったのだ。多少早めに行動したことと、小さな街ながら駅だけはきちんとしていたので発車の掲示板がきちんと表示されていたことなどから、十分間に合ったのだが、路線が9、プラットファームが4つだけなのにややこしい表示をするものだ。
電車は古かったが初めてコパートメントに座ってみた。人が少ないのでたいてい各コーパートメントには1人しかいなかったようだ。電車だと景色が見えないかなと思っていたら、そこそこ見えた。世界の車窓からという番組があるくらいだから、見えて当然なのかもしれない。道中思ったのだが、周りが見渡す限りひまわりや麦畑の中にポツンと駅が有るようなところでも人が乗り降りしているのにすごい違和感を感じた。車で来る道路はもちろんない。自転車が多く停まっていることから、畑の中をくぐりぬけてくるのだろう。家だって近くに見えるものでもたぶん500m以上はあると思う。いったいどんな生活なのだろう。
ハンガリーにいつの間にか入り(警察の巡回や乗車券の確認が有ったので分かった)、景色を眺めていると、家が朽ちてきている。人は住んでいると思うがぼろいというより朽ちている。おそらくある程度はメンテナンスをしているのだろうが、古すぎてそう見えてしまうのだろう。ハンガリーってそこそこ経済状況が良いと思っていたので少し驚いた。
ブタペストに着くと呼び込みが多いのに驚きながら、市内交通用のチケット売り場で並んでいると、黒人系のアメリカ人が話かけてきた。アメリカ人のほうは窓口の順番が来たので見ていると、ホテルの住所を見せてチケットを買おうとしている。さらに、ユーロは使えないのか、それならUSドルならいいだろうと訳の分からないことを言い始めている(ハンガリーは日本と同じく独自通貨です)。私は事前に調べておいたチケットを購入したのだが、通常観光客が買わない7日間のチケットだったため、しばらく探していたようでその間、横の黒人を見ていた訳だが、しまいには窓口からは相手にされず後ろに並んでいるおばさんが説明を始めていた。私は、かかわりあうとホテルまで付き添ってほしいと言われそうなので、かわいそうとは思いつつもさっさと行ってしまった(そこまでの行動を見ていて、まともとは思えなかったため)。
世界で嫌な観光客と良い観光客の両方の上位にアメリカ人が載っているので不思議に思っていたのだが、なるほどと思った。世界の中心であると思い込んで自分たちの考えがスタンダードだと強く思ってしまっている人もいるのだろう。日本人も結構それに近いと私は思っている。ただ、頭が良いので理屈は分かっていることから理解を示すのだが、いざその時になると、常識的に考えてとか、ここは日本だとか、日本の会社に任せているのだからということになり、その国の一般的な考えや行動に理解を示そうとはしない。あまりいい例でないかもしれないが、日本では、大きな音を立てて鼻をかむことはあまり良くないとされているかと思う。鼻かぜなどでぐすぐすしているのはあまり気にされないが、ヨーロッパでは逆なようだ。こう書くと、なるほどと皆、思うと思うが、ヨーロッパ人が日本で電車やバスの中でものすごい音を出して鼻をかむとどう思うのだろうか。向こうの人たちはすごいとか、ちょっと非常識じゃないのかと考えると思う。ヨーロッパではそれが常識なのかもしれないと、思わないところが問題だと思う。そう思うことが、自分と違う文化を受け入れる一歩なのではないかと思う。これは、タイ人と結婚してタイ人の妻と子供を日本に連れてきていやというほど感じたことからの体験から来ている。

H-1 車窓からのひまわり畑
9月26日
ブダべストは、調べる限りあまり観光の評価の高いところがないようだ。今までのところ観光で評価の低いところはやはりそれなりであったため、有名どころでなくこちらに住んでいる方のホームページを参考に回ってみた。主に川沿いを中心に栄えてきた街かと思う。街並みは古いものの伝統ある感じがするが、メンテナンスが悪くあまり良い状態とは言えない。人は、それほど大きくなく日本よりわずかに高い程度のように思えるが、皆ガッシリした感じだ。セルビアやクロアチア方面の人が多く混じっているのかと思う。

H-2 バラ広場の教会

H-3 教会内部

H-4 ドナウ川からシタデル方面を見たところ

H-5 独特のサラダ(内部はポテトやチーズ)
9月27日
昨日見たシデタルの丘に上ってみた。結局は戦争博物館であって中は見はなかった。どうしてかは分からないが、なぜ戦争関連の博物館が堂々とほとんどの今まで回った国ではあるのかよく分からない。結局、自分の感覚が世界とは違い本来人を殺してきた物を飾るのが一般的なのだと思うように至った。もちろん、国や皆を守ったものだからという考えから来ているためなのだろうが、私からすると、結局は人を死に至らしめるための道具であることには変わりはない。
かなり、極端な考え方を持つ人たちがいてそういった人たちの制作したドキュメンタリー的な番組を見たところ一つ私が昔から思っていたことが出てきた。それは、もし軍事費を使わず貧困している人を援助すれば、貧困がほぼなくなり、お釣りが来てしまうとのことだ。もちろんそんなことをするのは世界の安全を考えればできないことだが、もし可能ならそういうことなのだ。それ位、人を殺す道具や訓練にエネルギーを費やしているとのことなのだ。なにか根本的にいい方法がないのだろうか。
ついでなので、書いてみるが世界の有名な寄付を集めている機関はそれほど世界の貧困に貢献していないような気がする。理由は、30~40%近くの寄付は運営ということで消費され、残りの70%弱が困っている国の役人に手渡され、良い役人ならいいがそうでない場合、さらにそこで相当の額が搾取されてしまい実際は半分も届かないことがあるようだ。社会人になりたての頃は寄付をしていたのだが、色々な資料は送られてくるは、ステッカーや礼状など、寄付した額の相当がそこで使われていることに気づいてやめた。さらに極めつけは、カンボジア難民などという言葉が死語になっていない時代(カジノなどがなく道路は舗装などない時代)、カンボジアとタイの国境でカンボジアから大量の寄付された物資が流れてくるのを目撃したためだ。もちろん、日本からの古着や自転車なども大量に含まれていて、話を聞くとカンボジアの役人がお金欲しさに横流しして、タイで売られているとのことだった。見た人が他にも大勢いると思うが、巨大なリアカーに山のように積まれていて、隙間から見えるのは古着など、中古なのは明確に分かる物だったが、それが次から次に泥の道を通りながら舗装してあるタイに流れてきている。もし、ボランティアで、何トンもの古着などを集めて送っていた人が見たら卒倒する光景だと思う。でも、世の中の現実はそんなもの。それを知った上で何をするべきか考えなくてはいけないのだと思う。
最近は貧しい地域での日本人の評価は高いようで、お金だけではなく知識を教え込み現地の人だけでやって行けるようにしているとのことだ(農業や酪農、灌漑などが主なものだと思う)。もちろん、西洋や、アメリカの人たちも個人に対して事業内容を確認の上、ほぼ無利子でお金を貸し、生活を自立させていくようなことはしている。どちらがいい方法とかではなく、どうにかしようと考え行動していることが素晴らしいと思う。私の場合、微々たるものだが、自分の持つ知識を惜しみなく伝えることは心がけている。よく、教えてしまうと自分の立場、あるいは会社の立場が悪くなるという人もいるが、よほどの物ならともかく、本を調べれば載っているレベルは教えてもいいのではないかと思うし、他の誰かが自分の持つ知識をマスターし自分が必要なくなれば、それはそれでいいと思う。考え方によっては、次のステップ進むことができる。ただ、実際は、ある程度の知識を持つとあまり表に出さず、そこのポジションに居座ろうとする人が大多数なのも事実。特にタイなどは、そうすることが当然で、教える人間はバカだと思っている。実際、私は何人かのタイ人に遠まわしにもったいないと言われた。

H-6 対空戦車(小さいころこのデザインが好きだった)

H-7 丘の上から見たブダペスト

H-8 中州にあった朽ちた教会
9月28日
昨日風に当たりすぎたのか、少し調子が悪い。トラムであちこち見て回ることにした。チケットの使用できる区間がよく分からないので、あまり遠くまでは行かなかったが、ハンガリーは見どころがある程度あるように思える。ただ、思ったほど経済状況が良くなさそうなのと西に近い感じだけど、日本人のイメージでは東ヨーロッパに入ると思う。西と東で区別する際、もちろん経済状況や、鉄のカーテンのどちら側だったかということが重要になると思うが私が旅行していて思うのは年配の男の人が、1人でデカいアイスかパフェを食べているかどうかでも判断できると思う。おそらく少し感覚が違うのだろう。私も大好きだが、気温が15℃位なのと、量がすごいので移動中おなかを壊すとトイレが大変なので我慢している。

H-9 中心地から南西方向の街並み

H-10 地下鉄の入り口(すごく浅い地下鉄で深さが階段20段くらいしかない)