ワルシャワ
8月22日
今日で飛行機の移動は最後になると思う。日本に戻る便まではバスと電車で移動する予定。飛行機は乗っている時間はそれほど長くないが空港に行くまで、飛行機を待つ時間到着してからの移動を考えると、6時間くらい余計にかかる気がする。バスでも電車でも多少はかかるが、おそらく2時間程度だろう。そうこうして、ワルシャワの空港に到着したが、入国のスタンプが本来のページではなく裏の余白に押されてしまった。特に問題はないだろうがいい加減だ。ホーチミンと、上海でさえ、裏でもきちんとしたページに押していたぞ。税関を出るとタクシーのドライバーが寄ってくる。なんかタイと同じだな。一応、電車かバスで行けるホテルなので電車で行ったがホームに行くまでの間が暗い。午後9時になっていたがもしかして閉まっているのかと思ったほど。基本、英語はなくなるがさすがに空港からの電車だけあって停車駅の表示とアナウンスが有ったので、間違えずに駅を降りれた。駅からホテルまでは200m位なので、暗いが近道を使ったら酔っぱらいがいて声をかけてきた、が、日本語で答えて無視した。この経験から、夜は一切外出しないようにしようと思った(本来危険なことはないはずだが、危険なエリアとどういった感じの人が危ないのか分からないため)。
8月23日
どこに行くか調べていなかったため、とりあえずトラム(路面電車)で移動できるように実際に乗って調べてみた。チッケットには時間や一回限り、日にち、エリアなど、種類が多少あり目的地で買うタイプではないので、とりあえず3日間の券を買った。私は一度、券のチェックを受けたが意外と無賃乗車になってしまっている人がいるようで、何人か捕まっていた。特に、年配の方が少しかわいそうだった。おそらく時間で買っていたのだと思うが、その時間が過ぎていたようで、オロオロしていた。罰金がいくらか知らないが、給料は現在で5万~10万円程度の国なのでお年寄りはあまりお金を持っていないと思う(以前はもっと低かったはずなので)。先ほど書いた3日間フリーのチケットで1000円、しかもトラムとバスと一部の電車と地下鉄が乗れるようだ。ただし、区間が決まっているようなのであまり遠くには行けないはず(行けるが見つかると罰金)。私の場合、いろいろ乗りこなすのは無理なのでトラムに絞って調べた。番号で行く場所が決まっているようで、あらかじめトラムの地図をダウンロードして携帯で見ながら移動するのが一番簡単なようだ。
ところで、この国に来てから、人の体形が普通に戻った。皆、太っていない。良かった。食べ物も野菜があるしサラダのみを扱っているフードコートがあるくらい。値段もアイルランドの3割位(日本の7割位か)。店によってはもっと安いと思うが、食堂っぽいのがどこにあるのかよく分からない。街並みは、概ね心地よいデザインの物が増えた。イギリスほど、格式ばっていなく、アイルランドのように古いスタイルでもなくという感じだろうか。もちろん日本のようにカオスになってはいないので、心地よい感じだ。もう一つ感心したのが、ゴミがほとんど落ちていない。ゴミ箱は多い気がするが、感心するくらい綺麗だ。罰金とかそういったものが有るかもしれない。ちなみに、信号は皆守るので(日本よりも)どうしてかと思ったら、反則すると人でも罰金らしい。横断のマークがないところで道路を渡るのもいけないようだ。
P-1 デーパート内部
P-2 中心部近くの公園
8月24日
行きにくそうな場所から行ってみっることにした。「プラハ街」みたいに観光用のカードには書いてあるが、合わせて工事中とも書いてある。近くのトラム駅が地図上ではあるがトラム用の地図では無い。とりあえず行ってみたら、駅がなかったというより封鎖されていた。浮浪者っぽい人がトラムに乗ってきたが臭い。酒と体臭か。前の女の人は鼻を摘んでいた。そこまではっきりやらなくてもと内心思ったが、そういえば歩道に貼ってあった宣伝のデカいビラをおばちゃんが怒ってゴミ箱に入れていたので、意外とまともな人の割合が多いのかもしれないし、働かないでふらふらとしている人には冷たい国なのかもしれない。私は一応こぎれいにしているので問題ないが。それでそのプラハ街に行ったら確かに取り壊しの工事中でこの後、団地と美術館が立つようだ。空地でバザーが開けれていたが、変な人が声かけたりじろじろ見るので写真はおろか立ち止まることさえできなかった(バザーの中では私が変な人なのだろうけど)。売っているものはよれよれの服と果物類だったが、こんなの売れるのだろうか。タイの市場のほうがよほど良いもの売っている気がする。次に、スターリンが残した負の遺産みたいに一部で言っているようだが(私はそう思わなかデザインや像などが悪い時代を思い出させるのかもしれない)、文化科学宮殿に行って科学技術博物館に行ってみたが、、、行く価値はあまりなかった。ポーランドは、美術館や博物館が多くあるが、ネットで調べてもどうもパッとしなかったので、もしかしたらと思っていたが、おそらくほとんど行くほどの価値がないところが多いかもしれない。とりあえずいくつかは行ってみて様子を見ようと思う。
そういえば、この20年弱で初めて、ホテルでベットメーキングしている人たち用にチップを置いてお礼のメモをもらった(お礼を言われたことは2回くらいあったように思うが)。初めは、昨日水漏れが有って、大変なことになり部屋を変えたりしたので、その関係かと思ったが、ポーランド語を翻訳して調べるとお礼だった。たった60円なので恐縮だが、きちんと部屋を掃除してくれれば気持ちチップを置くようにしている。金額が小さいけども、たぶん、そんなことで散らかした部屋を掃除してもらった感謝が通じるのではないかと思うから続けている習慣だ。人によっては、それが仕事だからと考えると思うがそういう考えで物事進めていくとぎすぎすしがちになる気がする。自分が誰かを雇って給料を払っているとしても、やはり常に感謝の気持ちとその表現は必要だと思う。
P-3 取り壊し中のプラハ街
P-4 科学技術博物館内の変わったバイク(どうやって運転するのだろう)
P-5 文化科学宮殿(他の方面は変な看板が付けられたりして大切にされていない気がする)
P-6 閑散とした高層ビル
8月25日
キューリー夫人館に行ってみた。が、新聞の切り抜きやポーランド語と多少の英語で説明されている掲示板や夫人の写真、実験で使った器具や使っていた机や椅子があるだけであまり感心できるものとはほど遠いものだった。日本で言えば、よく無料で郷土の歴史や出土品などを展示してあることがあるが、有料でそれ以下の展示だった。はっきり言うとインターネットで集められる資料をゾーン分けして展示してある程度と言っていいかもしれない。もちろん生家だったことや、当時の使用していた物なども直に見られたのでそれは良いのだが、どうもワルシャワの博物館は行っても意味がないように思えてきた。その後、旧市街を散策して王宮も入ろうかどうか迷ったが、おそらくがっかりすると思ったので見なかった(日曜日で、入場無料だったにもかかわらず見ないくらいなので昨日と今日でどれほど博物館にがっかりさせられたか分かるかと思う)。旧市街も広場はよかったが、ところどころ工事があり多少景観がよくなかった。
P-7 旧市街の一角
P-8 旧市街広場
P-9 商店街とレストラン(建物が同じなのでよく見ないとどんな店か分かりにくい)
P-10 おやつ風のチーズらしい(かなり塩気がありどちらかというとお酒と合うのではないかと思う)
8月26~27日
26日はワルシャワでホテルを変える日。どうも体調がいまいちで24日は15時間位寝ていたのだが未だに完全と言えない。そういうこともあり、昼近くまでごろごろしてから移動した。この日は寒くおそらく15度くらいまでしか気温が上がらなかったのではないだろうか。移ったホテルは、多少古いものの日当たりが良いようでそれほど寒くなく助かった。そういえば、前のホテルのメイドからまたありがとうというメモがあって、「20歳です」とまで書いてあったのでもしかして話でもしたいのかと思っていたが、どうせ言葉は通じないしおそらく日本人だということも知らないと思っていたので、ホテルを変えてよかったと思った。
27日は、トリップアドバイザーを合わせて参考にして行こうと思っていたワジェンキ公園に行った。説明では、ヨーロッパで最も美しいと言われる公園のひとつとのことだが、行ってみてなるほどと思った。たぶん田舎育ちの同世代以上の人のほうが分かるかと思うが、初夏明け方林の中を歩いているような感覚だ。イギリスやアイルランド、日本とも違う感じで、例えるなら山の中に管理されたエリアを作ったら公園になったと言えば分りやすいのかもしれない。私の体験から言うと、30年前以上にクワガタ取りが好きで朝の5時ごろ少し離れた雑木林まで通っていたその林と記憶がだぶった感じ。この公園は、ポーランドに来てから一番良いと思えるところだったが、相変わらず一部で工事をしていて騒がしい。また、ここの国は動物が人を恐れない傾向が強いようで、ハトはもちろん、カモやリスまで人が歩いていても前を横切っていく。逆にこちらが道を譲ることもあるくらい。初めて見たのだが、リスが子供を運ぶ様子。子供が親の胸に尻尾を使ってぶら下がっていて、ただ、けっこう大きい子供だったようで2メートルぐらいで休み休み移動していたので写真が取れた。
P-11 ショパン像のななめ裏から
P-12 ワジェンキ公園の入り口
P-13 子リスの移動の様子(子リスが逆さまになって尻尾を絡めているの分かります)
8月28日
当初考えていた美術館や、博物館はがっかりするだけだろうと思ったのでトラムであちこち回ってみた。思ったより小さい首都のようで、首都圏と呼べるのはたぶん半径5キロ位になるのではないかと思う。ただ、商業地域という感じのところがよく分からない。はっきり言って高層ビル以外の部分はすべて住宅地じゃないかと思ってしまう。ただ、ここは見た目が同じ建物でも、内部がお店になったり事務所になったりしているので看板を読めないので外観からはよく分からない。また、周辺部に行くほどお年寄りが多いように感じる。さらに、靴に穴の開きそうな人が増えてくる。やはり経済的な余裕のはないのかなと思ってしまう。ただし、カジノは結構あるようだ。私は興味ないから覗いていないが、バスターミナルなんかにもスロットが2台くらい並べて24時間営業なんて看板出している。さらに夢中でやっているおばちゃんが居たりする。外から丸見えなのに。
ボーと外を眺めていると、結構大きい教会が見えたのでちょっと寄ってみた。良く手入れされているように感じる。物や椅子がほぼ均等に並べてある。中にいるのは私一人だったため、お賽銭(寄付と書いたほうが良いのか)を入れる音で自分でびっくりしたほど静かだった。それから外に像があったのだが、国により像の表現がずいぶん違うと思う。私の個人的な感想は、日本は見たままに作り、イギリスは堂々として威厳があるような感じだが動きがない、アイルランドは威厳を強調しようとして野蛮さを感じてしまう、ここポーランドは、その人の雰囲気を強調している感じで、基本的に人がよさそうに感じるように創っていると思う。
P-14 堅固なチケット売り場(全部こんな感じですが色は緑が多いです。私は自販機を使います。)
P-15 Wojciecha教会
P-16 Wojciecha教会内部
P-17 アダルバート聖者像
8月29~30日
明日はクラフクに移動することから、再度旧市街を散策してみた。確かに雰囲気は良いのだがどうもいまいちに感じてしまう。こんなことなら公園でも散策したほうが良かったかなと思ってしまった。おそらく旧市街を歩いているのがほぼ観光客のみということもあり、どうも本来私の見たい景色と違っているように感じてしまう。観光客が多いと思われる理由としてレストランやアイスクリームが3割~5割増し位の値段になっている。
今日は、ポーランド国内のバス移動。暑いタイに体が馴染んでいたせいか涼しいところに来てからどうもトイレに行く回数が増えたように思う。バスの中は予想通り相当寒かった。トイレ付で良かったと思う。さすがにこの寒さで5時間もトイレに行かずに過ごせたかどうか分からない。そういえば、今まで回った国では公衆トイレが少ない。スーパーなどでもトイレを使わせないようにしているところがあるし、有料のトイレだと100円近くするところもある。そういった習慣なのだろうけど、観光していて公衆トイレを見かけたとき時々トイレに行っといたほうが良いかどうか迷う時がある。お城や美術館でもトイレは故障中などと結構な率で書いてあることがあり、1度だけ相当困った時があった。
クラクフに着くと、事前によく調べておかなかったのが悪いのだがトラムで簡単に次の宿泊地に行けると思いこみ、地図と道を勘違いしていたようで2キロくらい12キロの荷物を持ってうろうろしてしまった。今回初めて、ホテルでなくホステルに泊まるのだが、ロンドンひどいホテルとと比べて3分の1で、よほど良い部屋だった。やはり物価の安さを感じてしまう。
P-18 旧市街内の警備薄の大統領官邸前
P-19 ワルシャワからクラクフのバスから どこまでも平らな土地
クラクフ
8月31日
まずは、旧市街の周りに円状にある公園を1周してみた。このように書くと小さいように思うかもしれないがおおよそ4キロくらいになる。なぜかベンチが異常に多い。座りたいときに座れないことはないだろう。ワルシャワの時のようにゴミ箱が目立たないようになっていないのが目についた。やはり、国としてでなく地方で違っているのだと思う。1周してから、中央広場に行ってみたが週末のせいか観光シーズンなのか人が多い。とても静かに見れるような感じではないし、教会のチケット売り場に人の列ができていた。並んでいる人たちはガイドブック通りに観光しているのかと思う。今回は入ってがっかりしないように事前にある程度調べておいたがクラクフにもあまりパッとしたものはないようだ。ガイドブックには詳しくいろいろ書いてあるが、それ見れば十分と思ってしまう。おそらく、私自身があまりにいろいろ見すぎて感覚がマヒしてきているのかと思う。日本でも有名なお寺を1カ月以上相当数見てくれば特別に感じることも無くなってしまうかもしれない。ワルシャワでもそうだったのだがどうもデパートというのは少ないようだ。海外まで来てデパート見てるのかと思われるかもしれないが、現地の人がどういったものを買ったり食べたりさらに物価の感覚まで分かるので私としては結構面白い。ちなみに、洋服屋が多くデザインは垢抜けていると思うが値段はワルシャワの半値程度の物が多い。レストランの値段はそれほど変わらないが、量はそれで足りるの?という程度の量(おそらくそこまで余裕がないのだろう)さらに、デーザートやアイスを食べている人が多い。服はあか抜けているが靴が傷んでいる人が多い。私も、靴はバックスキンなので見た目が相当古く見えるがさすがに穴が開きそうになっていない。
P-20 どこまでも落書きの壁
P-21 旧市街を囲っている公園
P-22 ウァウェル大聖堂
P-23 中央広場裏手から
9月1日
結構マイナーと思える場所かと思うが、アビエーター博物館に行ってみた。飛行機の博物館で、相当数の機体が野ざらしになっている。天気が悪く雨が多少降っていたが、それよりも寒い。おそらく気温は10℃ちょっとではないかと思う。
日本だと、戦後の惨状を中心に戦争を考えていくようなことが多いが、他国ではなぜ戦争をしたのかその経過結果がどうだったのかということを学ぶ。日本の真珠湾攻撃の背景はよく調べていないが、原因は物資の補給が絶たれていたことが大きな要因かと思う。それをしていたのがアメリカだったということなのかと思っている。当時、このまま植民地になるのか負けるにしても一矢を報いるかの選択で後者を選んだ。そしてなぜか勝ってしまったというのが、私がNHKのテレビとインターネットで見たり考えたりした戦争を始めた解釈だ。話がそれたが戦争についての考え方が違うため戦争の道具として使ってきた物を展示することに誇りを持っているのかと思う。結局、何かを守るために始まってしまうのが戦争だと思う。始まりはよくても、長引くと悪い方向に行くのも戦争の特徴だと思う。そんな考え方から殺人の道具を堂々と展示できるのかと思う。これはアイルランドでも同じ。おそらくイギリスでも同じだと思う。
ポーランドは東側の国に属するので、通常日本では馴染みのないミグ系の戦闘機などもある。東側は、面白いことに少数の天才と言われていた人たちで、技術の革新が起こされてきたように思う。これは飛行機でもロケットでも同じ。これはすごいことだと思う反面、相当危険な方法だと思える。その中心の人物の考え方向性が、一時は正しいと思うが何十年も正しく革新を起こせるはずもなく脆弱な考えで周りを危うくすることかと思う。まあ、興味がある人は自分で調べてみるといいかと思う。博物館そのものは、飛行機が好きなこともあり楽しく見られたが、ジェットエンジンの仕組みがよく分からないので今度調べてみよう。
P-24 アビエーター博物館近くの鷲のモニュメント
P-25 The Jaguar
P-26 WSK Mi-2Ch Chekla
P-27 名前は分からないが、対空用誘導ミサイル発射台
P-28 旧式のジェットエンジン
P-29 市街地西にある公園
P-30 市街地を環状に走っている道路
P-31 大学の道路側にあった石のモニュメント?
9月2日
昨日博物館と、夕方歩き回ったせいか左ひざが痛い。中学1年の時に自転車で前歯4本折ってと左ひざを強く打ったことが原因だが、とても長く歩けるような感じではないのでトラムであちこち行ってみることにした。中心地から南へ行ってみたが、写真(P-32)を見ていただけると分かるかと思うがこんなバザーがあった。とても市街地付近の感じとは思えない。おそらく1990年以前のスタイルなのではないかと思う。あと、トラムのドアが右側しかないのにどうやって反転しているのかという謎が解けた。ぐるっと回って反転していたのだ。このあたり先進国では考えられない仕様だと思う。
P-32 スラム街と思ってしまうようなバザー
P-33 トラムはこうしてUターンしていた
9月3日
今日は教会などを見てみようかと思ったが、あまりの寒さで昨日と同じくトラムであちこち移動することとした。北側は完全に住宅地。本当に同じような団地がいくつも並んでいた。その中で少しねじれて傾いているのがあったが、大丈夫なのだろうか。旧東の考え方は、みな平等ということだったように思うのでその名残でこれほどまで同じようなものが建っているのかとも思う。
東側に行ったら驚いた。コンビナート(kombinat ロシア語で「結合」)で鉄工業関連の物だと思うが、雑木林の中から見え隠れして廃墟か何かと初めは思った。ところが、周りにたくさん車が止まっていることからいまだに稼働していることが伺えたが最終の駅の周りの雰囲気が異様だった。よく映画で寂れたバス停や電車の駅などが出てくるがまさにその雰囲気でちょっと恐ろしく感じて、写真も撮らずに戻りのトラムにすぐに乗ってしまった。はっきり言って、身ぐるみ剥がれそうな雰囲気と言えばいいのか(もちろんそんなことはないが)。人の雰囲気も暗く湿っているし、服装も信じられないほど埃っぽい感じだし僅か10キロ東に移動しただけでこれだけ変わるとは驚きだ。やはり皆が皆で所得が向上したわけではないのだろうか。
アイルランドでも田舎から出できた人は、服装やしぐさですぐにわかるがあんな暗い湿っぽい感じではないしとにかく小綺麗だった。さらに20キロ位市街地から離れても人は全く変わらなかった。そういえば昨日ホテルを移って市街地から少し離れたまともなホテルだったのだが、どうもポーランドとその近郊の人が多く泊まるホテルらしくて朝食の時、今までになく一斉に視線を受けていたように思う。あまり周りを気にしないのだが急に話し声が止まって私が振り返ったらまたうるさくなったようなので。そのあとは何もなかったが。やっぱりアジア人は珍しいのだろうか。ただ、このホテル鍵のかけ方で日本語が手書きで併記してあるので、日本人が時々泊まっていると思うけど(英語が併記されているのに日本語まであるから団体とか泊まるのかな)。
P-34 ほぼ同じつくりのアパート群
P-35 たいていこのようなお店が点々とある
P-36 ポーランドに来てすし店以外で初めての日本語
9月4日
クラクフ最終日、再度ウァウェル大聖堂に行ってみた。前回は周りをぐるりと回ったのみだったので中庭に入りよく見てみた。それにしても中高年の観光客が多い。ガイドがあちこちで声を張り上げているので、なんだか安っぽい雰囲気になってしまう。見ている観光客も疲れたから休もうという顔ばかりしている。そんな中でも、なるべく人がいないところを選んで回ってみた。北側の城壁側を歩いていて思ったのだが、この場所がもともと高台にあったのだろうがこれだけの城壁を築くのは相当な時間と労力を要したかと思う。日本やアイルランドは貴族や王族が質素だったこともあり、それほどの物を築かなかったように思うが、ポーランドは結構すごいことをしたものだ。歴史を全く調べていないが、結構市民は苦労したのではないかと思う。ただ、装飾関係が金箔が増えて一見豪華に見えるが単なるメッキなので実際はそれほどの財力が必要でなかったのかもしれない。このように書いてはいるが、ホント芸術の街だと思う。とりあえず使えればいいというふうにはせずに、付加価値を付けるように何か考えているもののように感じるものが多い。
P-37 城壁からの眺め
P-38 北側の城壁
ウッチ
9月5日
バスで移動の日。バスターミナルから出発なのだが乗るはずのバスが掲示板に表示がない。あるいはポーランド語なので分かっていないだけかもしれないが、とりあえず行先の表示を目印にそこのバス停に行ってみたがどうも違うような気がするため近くの20代の人に聞いてみた(若い人は片言の英語が通じます)。なんとこのバス会社はここのターミナルから出ないと言い出す。私はワルシャワから来ているので、間違いなくこのバス会社がここのターミナルを使うことは知っていたので、案内で聞いてみることにしたが案内には10人くらい並んでいる。しかも予定の出発時刻まで15分しかなく、とりあえずそのバス会社のバスが1台止まっていたので運転手に聞いたらそのバスだった。どうも、案内で聞いていたような人が大勢いたので(言い争っていたので覚えていた)国のバス会社以外は、掲示板を見て探せ位の感じだったのかもしれない。無事に目的のバスに乗れて一安心。
移動している最中なんか物寂しく感じた。多くの人はある土地に定住するが、私はあまりそういったのが好きではなくどちらかというと転々とするタイプだ。ただ、その理由は一つの場所に縛られると自分が成長できないという感じがするのが大きい。そうは言っても、そういう環境でも問題なく成長している人はいるので、私の場合そう思い込んでいるだけなのだろう。
どうしてか分からないが、昔のことを思い出した。私が物心付いたときにはコロという犬がいた。私が9歳の時、老衰で死んでしまったのだが(亡くなってしまったと書いたほうがいいのだろか)今思えば、それについて相当の影響を受けたのだと思う。訳が分からず相当の時間泣いたのも初めてだし、亡くなる前の夜苦しかったのだと思うがずっと高い声で唸っていた。私は、うるさいと窓を開けて何度か怒鳴ったのだが、苦しいとか、死ぬとかそういったことは全く考えなかった。私の中で、どういう風に受け入れたのかは分からないが、相当の暗いしこりを残したと思う。何かある度、どうしてあの時、様子を見に行かなかったのか、どうしてその時親に言わなかったのか、夜の12時位だと思うから9歳の子供がと思うかもしれないが、同じ立場になればそうは思えないと思う。どんなに好きだったのかが今では何となくわかる。逆にその恐怖から、生き物を自分の責任で飼うことはあまり好きになれなかった。人にしてもそうだ、この人が死んだら自分がどう感じるかなんてことをよく考えてしまう。妻からは、たまに心が凍っているように感じる時があると、何度か言われたことがあるが当然だと思う。感情を抑える時、単なる電気信号を感じているだけだからどうってことないと思い込んで抑えているのだから。今では、薄ぼやけ始めているけど、コロは自分の中に住んでいると思っている。
とうとうウッチの街でやってしまった。ホテルに着いてから2泊しかしないので、近くでもちょっと見てみようと思って出たのは良いが戻れなくなってしまった。まあ、5キロくらいうろうろしていたので当然だが。夕方出たため夜7時過ぎて本格的に暗くなってきた。ポーランドは、それほど危なくないが、さすがに、金くれと近づいてくる人は多いので(ポーランドでは今まで5回くらいか。みんな貧相な人なので何となく分かるのだが。)やだなーと思い始めて仕方なく、30歳くらいのバス停でバスを待っている人に聞いたら、すごく親切で、途中まバスに乗って案内してくれた。帰りの方向が一緒だったのだろうけど、すごく助かった。メールアドレス教えようかと思ったけど、急いでいるようだったので、そのまま別れた。ポーランドの人には1度恩返ししないと。
P-39 バスから
P-40 ショッピングモール なにかと空間とデザインを考えている
P-41 廃墟になりかけのアパート こういったのがあちことにあり この周辺にいる人は貧相
9月6日
ウッチでは今日しか観光ができないため、あらかじめ決めておいた。映画博物館、Jewish Cemetery、Lagiewniki Parkの3か所。初めに、映画博物館のほうに行ってみた。この街はポーランド第2の都市で以前は繊維工業中心に栄えたらしいが現在も工場は多いようだが以前ほど栄えてはいないようだ。いつもどおりトラムで移動しようと思っていたが、乗車券の販売機がやはりない。近くのトラム駅は販売所もないため仕方なく1駅歩いて一日券を購入した。
映画博物館のほうは、客は私一人だけのような感じだった。人形を使って1コマずつ動かしながら撮る方法がここでは有名なようで、あちこちにそういった人形が展示してあった。小さいころに見たことがあるような人形もあったため、非常に懐かしく感じた。次に、Jewish Cemeteryに行ったが、なんと臨時休業だったようでに残念だった。実は、ここは観光地として口コミの評価も高く、戦争で亡くなった名前もよく分からない人たちの墓地で、林の中にある半分打ち捨てられたような所だったはずで非常に見たいと思っていた。仕方なく次のLagiewniki Parkに行ったが、はっきり言って森と林で自転車がないと見切れないような場所だということは分かっていたので、端のほうを2~3キロ歩いて戻ってきてしまった。なんとなく懐かしく感じて、中学時代よく冬部活で森や林の中を歩き回ったことを思い出した。林や森は結構怖い場所で、道に迷うとかなり大変になることは中学時代に経験している。まだ、太陽が見えている状態なら多少の方角も分かるが、暗くなると真っ直ぐ進んでいるようでも大きな円を描いて回ってしまう。これは左右の足が同じ幅でないため真っ直ぐには進めないということらしい。
P-42 映画用の人形 こういうのが好きな人にはお勧め
P-43 同じく撮影用の部屋 写真で見るほどたいしたことない
P-44 現像やフィルムの張替えなどをする部屋の再現
P-45 Lagiewniki Park 公園と言うより林
ポズナン
9月7日
ポズナンに移動。移動のバスがなんと満席だった。おそらくは、スポーツ関係の学生が20人くらいいたせいなのだろうが、デカいデカい。180~200cm位。おそらく一番大きい人は210cm近くあったのではないだろうか。そんな中にいたせいか、非常に窮屈でうるさかった。それにしても、バスの中によくあれだけ飲み物と食べ物を持ち込んできたなと思う。そういえば前の時のは、ピザを2箱持ち込んでいた人がいたもんな。ようやくポズナンのホテルに着いて、さっそく街の中心部に行ってみた。こちらの新しいデパートは本当にデザインがすごい。空間を演出していると思ってしまう反面、無駄にもなっていると思う(言葉は忘れたが面積に対する収益がすごく悪いと思う)。土地が多いからいいのだろうけど。
古い通りに出ると、細い路地に結婚式を挙げたばかりのカップルやドレスやスーツを着た人が大勢いた。どうもフォーマルな格好で教会に行き、その後食事でもするといったところだろうか。この狭い路地の不雰囲気は非常にいいと思う。
P-46 デーパートの内部
P-48 路地の様子
9月8日
どうも眠くて仕方がないが、公園に行ってみた。相変わらず整備をきちんとしないで公園にしたという感じがする。ここの公園内にも小さいがミリタリー博物館があり、戦争当時に使っていた物をよく展示する国かと思う。広い公園なので、中には半円の演劇上?っぽいものが有り聖歌隊が歌っていた。調子が良くないのでホテルに戻って休んだ。おそらく疲れから熱を出したらしい。
確かに1日に動く時間はそうでもないが、緊張の連続と言えば連続だし、すべて行き当たりばったりだから疲れが異常にたまる。この町は見るものが多くないからと自分自身納得して部屋で休んでいた。
P-49 相変わらずの自然のままの公園内
P-50 公園内に戦車ってイメージ湧きにくい
P-51 一般の子供に大迷惑な聖歌隊
P-52 摩訶不思議なスタチュー
P-53 星マークの墓が数百あって少し不気味だった