引 越
今回は、旅行ではなく住むためにチェンマイに行くのでそれなりに荷物 が増えてしまいました。最低限の荷物とはいってもスーツケースを含めて40kgを超えてしま いました。手荷物の分を引いても30kgになるので、重量オーバーになっても問題ないだろうと思 っていました。でも実際荷物を預けるときに、追加料金を請求されてしまいました。今まで 使っていたエアラインは、その程度のことで問題になることはなかってんですが、安いエアラインというのはだめですね。結局、もう一ランク上の航空会社をつかえる程度余計に支払い ました。
バンコクのドムアン空港で国内線に乗り換えるときに少し驚いたんですが、国内線でも荷物 のチェックをすることになったようです。少し前に爆破事件があったせいだとは思いますが、 メーサイのイミグレも閉まっているようだし、やはり日本よりは多少危険なところかなと実感 しました。(日本も北朝鮮に何かあれば大変なことになりますが)
荷物のごたごたがあったせいで、やっとチェンマイについたという気分になりました。 これから、ここで暮らすことになるわけですが、私のビザはノンイミグレですので 90日ごとに手続きをしなければならないのでまだまだこれから面倒なことがたくさんあるなと思った1日でした。
経 費
実際チェンマイに住むとなりますと、1ヶ月どの程度かかる のか気になります。日本で考えていた計算では、約12,000Bでしたが、実際はもう 少しかかるようです。というのは、タイ語の学校に通ったり生まれてくる子供の用 品を買ったりしなければならないため、約15,000B程度かかってしまいます。内訳を簡単に言いますと アパート3,000 電気500 電話200+800 食費3,500 日用品1,000 衣類1,500 雑費1,000 子供用品2,000 学校2,000(月で平均すると) となります。現在1円 =0.36B程度ですので日本円で43,000円程度になります。日本の感覚から言えば、1ヶ 月のアパート代にもなりませんが、こちらの方の給料から言えば標準的か、あるいは 少しいいくらいにあたるのかもしれません。
現在、特に仕事をしているわけでもないので貯金との戦いになります。貯金もそんなに安心できるほどあるわけではないので、ある程度タイ語ができるようになって仕事を見つけなくてはなりません。
タイ語
チェンマイに住み始めて2週間、旅行でしたらもう帰る時期ですね。 将来、できればこちらで仕事をしようと思っているので最初の障害の言葉をまず何とかしな ければなりません。チェンマイには、外人向けにタイ語を教える機関が大きく分けると4つ ほどあります。チェンマイ大学・パヤップ大学・AUA・YMCAです。パヤップ大学はアパートから遠いのでパスして他の3つを調べました。チェンマイ大学は卒業証明書のようなものが、もらえるので将来就職を考えるといいのですが、基礎的な会話や読み書きができ るレベルになってからとのことですので、今の私にはとても無理です。それに入学金や授業料が高くトータルで15万から20万かかってしまうので収入のない私にはいずれにしても 無理があります。残りはAUAとYMCAです。ただAUAは5月上旬からの開校ですので、 4月から始まるYMCAに決まりました。ここでの授業は、6人の生徒でのグループレッスンでした。初級ですので読み書き等はまったくなしで会話のみです。しかもほとんど単語のみですので暗記中心となります。YMCAは月・水・金の週3日だけですので、のんびりと勉強 しようと思う人にはいいと思いますが、私のように早く覚えたいと思っている方にはちっょと お勧めできないです。生徒の中に日本人が私を含めて3人いまして、他の2人は火曜・木曜・土曜は個 人レッスンを受けていました。私は、6月になったら月曜から金曜まであるAUAに変えるつも りでしたので、特に他のレッスンは受けませんでした。
教室の雰囲気というか、先生がそうなのか、非常にのんびりした感じで、日本で偉そうに教えている教師とはエライ違いです(全部の先生がそうではありませんが、私の時代では半分 近くは教えてやっているんだぞという感じがありましたね。しかも、そういう先生に限って頭のいい生徒だけを相手にするものだから、勉強嫌いな子はますます授業を聞かなくなる傾向があるように思います)。こちらの先生は、みんなで一緒に進みましょうと言う感じが非常に強いので、取り残されることはないのですが、ある程度勉強をしている人には物足りないかもしれないですね。
今現在、タイ語を習い始めて1ヵ月半が過ぎようとしていますが、なかなか難しいですね。タイの人は 早口な人が多いので、簡単な単語でもなかなか聞きとれないです。私が、明らかに日本人とい う顔をしていれば少しゆっくりと話してくれるんでしょうが、中国系のタイ人とほとんど変わら ないので、まず気を使ってくれることはありません。妻がタイの人なのにどうしてなかなか覚えらないのかというと、普段は英語をメインで話しているので、お互いの国の言葉はいまだにほとんどしゃべれないのです。今までに何度もタイ語だけで話そうと挑戦したのですが、ほとんど の場合、辞書をめくって終わりになってしまいます。本当は、さらに続けていけばいいのですが、 会話もなく、「あー」とか「うー」とか言っているのは相当苦痛でいつのまにか英語で話しているのです。
食 事
こちらに住んでいる方や、長期滞在者の方の間で問題となるのは 食事のようです。言葉や文化の違いから来る問題というのは、働いていない限りそれほど 大きな問題とならないようです。私の場合、特に日本食しか受け付けないということも なく、ただおいしければそれでいいというタイプですので、今のところまったく問題になりません。それに、こちらは果物が豊富にあるので季節ごとにいろいろなものを食べること ができます。ただし、日本で一般的にある、りんご・ぶどう・なし・メロン・キューイ 等はほとんど輸入ものになるので、高くてなかなか食べる機会がありません。こちらの味付けについて言いますと、日本では辛い・甘い・すっぱいのどれかが基本とな っていると言われていますが、こちらで食事をしているとあまり感じなくなってきます 。だからと言って、淡い味のものの良さを忘れるわけでもありませんが、辛さについて は、タイ人の方が辛くないと思うものはたいして辛く感じなくなりました。
いま、チェ ンマイでは日本食のレストランが人気があります。先日そのうちのひとつに行ってみまし た。が、他の日本食のレストランに比べるとマシという程度の味で、日本でこの味だったらすぐにつぶれるでしょう(ちなみに、この店は結構繁盛してました)。なぜ、日本食のような淡い味のものがチェンマイで人気になっているのか少し不思議な気もしますが 、ある程度お金のある人や若い世代の人たちは、いろいろな食べ物を食べる機会がある ので、様々な味に対して抵抗が少ないのかもしれません。ですから、全ての人が美味しと感じていなくても何人かの人は美味しいと感じる可能性はあります。これが、年配の 方や地方の方の場合だと、1年中ほとんど同じものを食べているので(私は3日、9食であきました。痩せたいと思う方にはタイの田舎はお勧めです。絶対に食欲がなくなりま す。)日本食などもってのほか、タイで一般に食べられているトムヤンクンですらまずいと言って食べない方が居ます。
日本の食材については、チェンマイでほとんどのものが手に入ります。ですが、必ずし も美味しいとは限りませんし値段も日本の倍程度します。それでも、知り合いの方などは 買っていますので、私から見ると非常に不思議で仕方がありません。タイの食材なら10分 の1程度の値段で買えるのですから。でも、それだけその人にとっては日本食というのは重要なのでしょう。こちらに住むにあたって、食事というのは日本人にとって大きな障害になっているような気がしました。
パヤオ
私の知り合いで、チェンマイの隣のパヤオ県チュンに住んでい る方が居ます。知り合いと言っても、その方のHPを通して知り合ったので面識がないのです。メールを通して、いつ頃伺うかを連絡してチェンマイからバスで行きました。本当は、一人で行く予定でしたが暇になってつまらないと言うので彼女も一緒に行きま した。バスにはいろいろとランクがありますが、バス会社によってもだいぶ違ってい るようでした。たとえば、Aというバス会社の1StクラスのバスとBというバス会社の 2Ndクラスが一緒というような感じです。運の悪いことに、チュン行きのバス会社は1 社だけで、しかもバスはボロでした。車体は、一番下のクラスのバスと一緒で、かろう じてエアコンがついているといったものでした。まあ窓が閉めていられるのでほこり は入ってこないんですが、とんでもなく揺れるバスでした。約4時間かかったので、 妊娠8ヶ月の彼女が心配でしたが、思ったほどたいしたことなかったようです。
チュンにつくと、ソンテウで知り合いの方の住む村まで行きました。距離は、15キロくらいだと思いますが、道が良いせいかすぐに着きました。この方は、タイと日本を行き来して2年位になるそうです。 仕事も退職した後なので、年金をもらいながら生活をしていく予定のようです。
しかし何もない村です。夕方になってその辺をうろうろしたのですが、私が珍しいのか その辺りの人が、じっと見るのです。話そうにも、タイ語はほとんどできないのでそのまま歩いていっ たんですが、みんながみんなじっと見るので、さすがに落ち着かなくなりその方の家に戻りました。 一晩泊めてもらい、食事もご馳走になりました。本当は、お酒でも飲んでいろいろ話した方が楽しいのですが、彼女が一緒だし、私自身お酒はほとんど飲めないのでありきたりな会話をしてチュンを後にしました。それにしてもこちらも暑いです。チェンマイより若干北にいくし、 緑が豊富な山の中なので、少しは涼しいかと思ったらチェンマイとそれほど変わらない暑さでした。
彼女の体に負担をかけないように、パヤオ市で一泊しました。パヤオの湖は、家族連れで賑わっていました。特に目的もなくただ来たものですから、日没を見てホテルに戻りまし た。パヤオからチェンマイまでは、約3時間ですが、相変わらずバスは揺れるのでだいぶ疲れました。特に、横に座った方のわきの匂いが強烈で鼻で息ができなかったので、余計に疲れたのだと思います。チェンマイに戻ると、相変わらずの強烈な暑さが続いていまし た。
生 活
こちらに来て、1ヶ月もたつと生活のリズムができてきます。 軸となるのはタイ語学校です。1日の生活を順に書いていきますと、7時から7時半に 起床、食事やシャワーを済ませて9時40分くらいに学校に行きます。授業が終わるのが12時ですので、その後昼食、仕事があれば仕事をして、仕事がなければ夕方までデパー トに行ったりします(気温が、40度くらいまでなるので日中はあまり部屋に居ません )。夕方部屋に戻り、タイ語の勉強や復習をします。18時過ぎになるとだいぶ日が傾 きますので、ジョギング等をします。その後夕食をとり、またタイ語の勉強をします。 22時前後にシャワーを浴びてしばらくしてから寝ます。大体こんな風な生活をしています。 長期の海外旅行をした人からは、暇じゃない?などの質問をされますが、自分でも予想以 上に暇な時間が少ないのに驚いています。このHPもこちらに来て時間があるだろうからもう少し見栄えよくしたいと思っていたのですが、文章を書く時間で一杯でなかなかできません。こちらに住んでいる知り合いの日本人の方も、暇をつぶすのに苦労してい るという方は居ないようです。 そうは言っても、日本での暮らしに比べるとかなりのんびりしていると思います。
私のタイの生活と日本での生活を比べますと、一概に比較することはできないのですが、 どちらもどっちという感じで、タイはこんなにいいぞ、とか、タイはこれだからだめとか、 そういうものはほとんどないですね。他の方には聞いたことないので分かりませんが、 どちらの国も住めば同じように感じます。年配の日本人の方は、日本ほどいい国はないと思っているような気がしますが、私のように30歳前後の者は意見が別れるところでしょう。 日本に住んでいてこの先、生活が成り立っていくかどうか不安な方がたくさ ん居ると思います。もちろん私のようにタイに来てその後の生活の展望なんてまったくないよりは日本に居た方がいいと思うかもしれませんね。でも、先の見えない外国で暮らすことは、先の見えない分、失敗や大きな問題が出ると思いますが、生活が楽しくな るのもまた事実です。
余談になりますが、学生の頃、大嫌いな「お宅」の助手が「テストなん か受ける奴よりも、テストなんか受けない奴の方が可能性という点ではいいんだ」と、訳の分からないことを言っていたのを覚えていますが、かなりひねくれてはいるけど、一理あると思いました。(私は、その助手の全ての授業を出席して、テストは受けませんでした。が、単位はなぜか取れました。他のまじめに勉強してテストを受けた友達と単位の点数は同じでした。)話が、それたように感じるかもしれませんが、タイで生活しても日本で生活しても、成功しようが失敗しようが、私は可能性があればそれでいいんじゃないかなと思っています。今の中高年の方は、型にはまりすぎているように感じます。
叔母さん
彼女の実家が、チェンマイから3時間ほど北に行ったファングという町というのは以前書きましたが、そのファングから叔母さんがチェンマイの病院へ入院し に来ました。なぜ、ファングの病院に入院しないかというと医者や看護婦の対応が悪いからだそうです。妻のお祖母さんが、そのファングの病院に入院したときは、看護婦の対応に目にあまるものがあったそうです。タイの病院が、皆そうではないのですが、北部地域、特にファングの病院は医者や看護婦の対応が悪くて有名なようです。話がずれましたが、お見舞いに行くとそ の叔母さんは腰を痛めたようで全く歩けない状態でした。検査の結果とりあえずは、様子 を見るとの事で1週間くらい入院していたのですが、一向に変わらず全く歩けないのでもっと詳しく検査をするこ とになりました。しかし検査がのびのびになり2週間くらい待たされました。いくら、医者が 忙しいとは言ってもそんなに長く待たされるのでは参りますね。叔母さんは、 さっさと手術をして歩けるようになりたいと、その間言っていたのですが、結果手術をすることになると、手術代がたくさんかかると大学に通っている娘が大学を中退しなければならないと泣いていました。私もお金に余裕があるわけではないのですが、もしかなりの額になったときは、少し助けてあげようかなと思いました。 最終的には、それほどの額にならなくて済んだので、特に助けることはしませんでした。私が、不思議に思うのは、チェンマイの病院(政府の病院についてですので、私立の病院は全く日本と一緒かそれ以上にいいと思います)も設備や看護婦、医者の態度についてそれほどいいとは思えなかったのですが、それでも歩けない状態で3時間も車に揺れれても来るということはファングの病院はどうなっているんだろうと思いました。こちらで、 長期滞在している方で、旅行保険をかけていない方がいますが、やはり危険だと思います。 私立の病院では、一日病院にいるだけで2,000B程度はかかってしまいます。だからと言って 政府の病院では、設備も医者の対応もそれほど期待できないし稀に誤った注射を打って死ぬ人も居るくらいなので(日本でも稀にありますが)危険です。
話が全く変わりますが、 この叔母さん夫婦は妻からそこそこのお金を借りていて、ほとんど返していないそうです。 どおりで、困っている叔母さんを見て、妻が私に何も言わない訳だと思いました。 でも妻の言うことでは、この叔母さん夫婦は、妻のお祖母さんの面倒を見ているから仕方ないと言っていました(叔母さん夫婦からだとお祖母さんは親なんですが)。 そのために、妻は大学のときに学費を払えなくてとても困ったことがあるそうです。私が思うには、この夫婦はこの前家を建て替えたのだから、そういうことをする前に借りたものは返すべきだろうと思います。どうも、私には 分かりにくいことが多い国です。
リンチー(ライチ)
子供が、来月生まれるのでもうじき妻が動けなくなるのと、もぎたてのリンチーを食べてみたいという私の個人的な理由から、妻の田舎のファングにいきました。 つい最近こちらで車を購入したのでその車で行きました。山道を越えていくので、多少の不安はあったのですが、3時間ほどで叔父さんの家に着きました。叔父さんは車を持っていなかったので、だいぶ興味がありそうでした。到着して、早速リンチーをもいで食べました。リンチ ーはタイ語で、日本ではライチになります。どのようになっているのかというと栗の木に似た感じで、ブドウのようにある程度まとまってなっています。自分の想像とは違って、冷やさないと本来の80%くらいの美味しさでした。それにしても、直径3~4cmのリンチーからでる濃厚 な甘ずっぱさはなんともいえません。日本では、3センチくらいの大きさのものしか食べたこと ないし、新鮮なものとは味がぜんぜん違います。本当はこういう味だったのか位の違いがありま す。今年は、リンチーの収穫量が少なく値段が高いとの事でした。でも叔父さんのリンチーは 、手入れをよくしているせいか、去年よりもよくできているとの事でした。リンチーを売っての収入は、後で聞いたところでは、11万バーツ(現在のレートで30万円くらい)だそうです。そ れでも、去年の6万バーツから比べると倍近い収入ようです。いろいろな諸経費を引くと利益がどの程度あるのか分かりませんが、ファングでは10万バーツあれば1家族が一年間生活できる 金額になると思います(もちろん家があっての話ですが)。日本で生活していたときは、1人で年間150万円くらいは、必要でしたからタイの物価の安さや食べ物の豊富さが、うかがえます。もちろんバンコクで暮らすとなると、1人で年間10万バーツ程度は必要になりますが。
タイの人に、日本人の給料の話をするとみんなびっくりします。収入の金額は、すぐに信じるのですが 生活費のほうは、なかなか分かってもらえません。アパートが月6万円(2万バーツ)するというと、 コンドミニアムのような、部屋がいくつもあるようなものを想像して6帖一間というのが理解できないようです。妻の友達も、なぜ日本で暮らさないのかと尋ねるそうですが、そういうと きは説明するのが大変なようです。私が、タイで暮らす理由はいくつかあるんですが、お金以外のものの中に日本で子供がきちんと育ってくれるかどうかという不安もあります。いろいろな事件が、低年齢化してきて、さらに将来もあまり期待できない国よりも、まだ未知の国の方が 自分の可能性を伸ばすことができるのではないか、という考えもあります。まあ、どこにいて も結局はそれほど変わらないんでしょうけど。
ドイステープ
チェンマイで一番有名なお寺といえばいいのでしょうか。 よくガイドブックの写真に出てくるお寺です。このお寺の由来は忘れてしまいましたが、白いゾウが関係していたように記憶しています。場所は、チェンマイ市街から西の方角にあるドイステープ山の8合目付近にあります。このお寺には少し長めの階段があり、体の不自由な人やお年寄り・子供のためと思われるケーブ ルカーが設置されています。数年前に事故があり何人か犠牲者が出たので、今は新しくしっかりしたものに作り変えられています。このお寺には、会社の成功や家族の健康を祈るために現地のタイの方もたくさん来られます。もちろん観光客もたくさん来ますので、チェンマイのほかのお寺に比べると、常に人が多いような気がします。私の率直な感想は、きらきらしていてあまりいい感じをもてませんでした。ただ、それはこの地域のお寺全てに言えることなので、なぜ、この寺に限ってそのように感じたのか分かりません。このお寺からは、チェンマイの町が見渡せます。本当にちっぽけな町だと思います。町を見渡していると、こんな広い地球のここをなぜ住むのに選んだんだろうと訳の分からないことを考えてしまいました。さらに上の頂上付近にある国王の宮殿に行ってみました。きれいに整備された公園という感じでしょう か。彼女の話では、国王が来るのは冬の時期で2週間くらいいるようなことを言っていました。なぜ国王は、暑い時期に避暑に来るのではなく、寒い時期にここに来るのでしょうか。冬と言っても昼間は25度くらいになると思います。が、夜は0度近くまで冷え込むことと思います。話がそれますが、彼女の話で国王は10年位前のコンピュータを「まだ使えるから」と使っているそうです。車も、日本の標準的な車を自分で運転して使っていると言っていました。日本の天皇も、もう部品がないのではないかという車を使っていたと記憶しています。偉い方々が、このように自分の自身の足元をしっかり見てくれれば、もう少し住みやすい世の中になるんだろうなと思いました。
保 険
タイで生活するにあたり、一番不安に思うのは事故と病気です。 日本からタイに旅行に来たことがある方なら分かると思いますが、交通マナーなんてありません。第一、免許を取得して4年経てば更新なしで一生使えるんですから視力の衰えや道路交通法の変更があってもあまり問題がないんでしょう。免許の筆記試験も裏金を渡せば点数など関係なく、実技試験もちゃんとは走らせることができるか程度のも ので、車は持ち込みですので、オートまでもマニュアルでも関係ありません。 劣悪な交通マナーですので死亡事故も多く、病院へ行くと入院してい る人のほとんどは若い人です。また、病気についても食べ物からくるもの、マラリヤやテング熱、日本脳炎など日本でかかる病気よりもバラエティに富んでいます。話がそれましたが、このような国で病気や怪我にならない可能性は非常に低いと思います。そこで 、彼女の入っている保険のセールスレディ(保険やのおばちゃん)に来てもらい、いくつか紹介してもらいました。貯蓄型でないものを選び、申し込んだのですがここで1 つ問題発生。事故などは、今からOKなんですが、病気の場合は約一ヶ月程度後に送ら れてくる保険の証書が来てからでないと利かないというのです。まあ、旅行保険があるので、無保険になる期間が1週間程度なのでいいかと思いましたが、一ヵ月後さらに問題発生、外人の場合は死んだときのみ支払われるというのです。まあ、本部のほうで 全て判断されるようなので、仕方がないのかもしれませんが、それくらいのことは事前に本部に問い合わせてくれと思いました。保険のおばちゃん曰く、他の会社ならもっと大き いから大丈夫だと言うではないですか。私は、あきれて他に知り合いがいるから、そっちに聞くといいました。このおばさん、人はいいのですがちょとボケていて、その一ヶ月の間にも4度くらい訂正があったので、もうあきれてしまいました。ところで、そのタイ で一番大きい保険屋なんですが、直接営業所に問い合わせたところワークパミットを持ってい ない限り、事故保険しか入れないとのことでした。仕方がないので、それだけに加入して 蚊にさえおびえる日々を送らなければなりません。とはいっても、無保険で病院に入院しても 日本で保険を使って2割払う額の半分程度ですので、年に1度1日入院する程度なら保険にかけるお金程度で十分補えます。さらに、風邪を引いて病院へ行くなら、毎月一度いけるくらいです。よほど、ひどい病気にならない限りタイでは、入院代を払えないということには ならないようです。(ただし、私立の病院で、値段の高い所に入院した場合は、結構な 金額になります。逆に政府の病院だったら2ヶ月くらい入院しても日本円で5万くらいです)
ビ ザ
家族ビザの期限は90日間で、それ以降は延長の手続きをしなくてはなりません。チェンマイのイミグレーションに電話で問い合わせたところ、パスポートと写真、手数料だけでできるとの話でしたが、私がインターネット等で調べたところによると、日本領事館発行の住所証明、銀行の残高証明等が必要なはずですが、問い合わせたのだから間違いはないだろうと思ってイミグレーションに行きました。空港近くなのですが、あまりにイメージより小さいため何度も行きすごしてしまいました。実際窓口で聞いた結果は、パスポート・銀行の残高証明・写真で、一度バンコクの入国管理局に書類を送るため2週間くらいかかるとのことでした。その間は、延長を無条件でしてくれるようなのですが、問題は残高証明です。20万バーツ以上必要とのことですので、日本円で、60万位になります。日本円からタイバーツに変えるのは、タイの経済状態を考えるとあまりに無謀なので、ほかに方法はないのかと思案していたら、どこかほかの国に出ればまた90日いられるからそうしたらとのことでした。なんというか、一応国の人間なんですが、人間ぽいというかいい加減というか・・・。ともかく妻の出産も近いことですし、とりあえずラオスのほうに一度出ることにしました。
ただ気になるのは保険の問題です。結局、就労許可書がない場合には、基本的に入れないようでした。但し、事故等で入院した場合の保険は、問題がないようです。年間3,000バーツ(9,000円)位なので金額はたいしたことがないのですが、病気はできないなとぼんやり思いました。
ラオス(フエサイ)
私のビザの滞在期間が残り少なくなり、一時国外に出ることにしました。金額的にも時間的にも楽なのはミャンマー側のメーサイなのですが、今はゲートが閉じているためラオス側のフエサイとなります。ここのも普段はパスポートを預けるだけでいいのですが、今は本人が行かなければならないようです。本来は、もちろん本人がいかなければならないのですが、いい加減というか融通が利くというか、タイに住む外人にとっては暮らしやすいかもしれないですね。日帰りもできたのですが、念のため一泊することにしました。5時間ほどの道のりですが運悪く、乗った車が途中でオーバーヒートしました。運転手は、昨日までは問題なかったと言っていましたが、ラジエターの水の点検をしていなかったようでした。代わりの車が1時間後くらいに来たので、それほど問題はなかったのですが、あの運転手と車はあんな山中でどうやって運ぶんだろうと思いました。フエサイにつくと、すぐにラオス側に渡りました。ラオス側は、以外にいい家と車が多いので驚きましたが、翌朝そのあたりを歩いてみると国境のすぐそばだけだというのがわかりました。タイと比べると、全体的にホテルと食事の値段が高めで不清潔で道が悪い感じでした。翌日、またタイ側に戻りチェンマイに戻りましたが、また行きたいと思えるような場所ではなかったですね。車で一緒だった、ファランは、私がタイ人だと思ったらしく、常に覚えたてのタイ語で話しかけてきたのが楽しかったですね。
出 産
海外での出産というと、結構不安に感じる方もいるのではないのでしょうか。私たちの場合は、彼女の母国なのでそういうことでもないのですが日本と比べてちょっと違うなと感じた部分もありました。たいていは、予定日の2日くらい前から入院するようですが、妻の場合は、出産する5時間くらい前に病院へ行きました。予定日を2日ほど過ぎていたので、そろそろだとは思っていたのですが、朝方かなり苦しそうにしていたので、それで病院に行ったという感じでした。病院に彼女を置いて着替えや小物類を病院に持っていって、しばらく待った後に生まれました。出産直後に分別室に入ったのですが、私はまだ生まれていないものだと思っていましたので、妻の抱えている包みがなんだか分かりませんでした。看護婦さんが写真を撮ってくれたりしているので、何か変だなと思っていたのですが、ドクターが男か女か知っていますかと聞いたので、やっともう生まれたことに気づきました。でもまさか包みの中にいるとは思いませんでしたので、きょろきょろとしてしまいました。そのときは、結局子供の顔を見ることもなく、その部屋を出ました。
その後、私は保育器にいる子供をはじめてみるわけですが、どこの子供もそれほど違いがないように感じました。もっとも私が日本人、妻がタイと中国のハーフであるので、確かに肌の色や目の大きさなどは違いがありますが。基本的に保育器に入っているのでそれほどじっくりと見られなかったのですが、看護婦さんが日に2度くらいは病室につれてきてくれるので、抱くことができました。妻の出血がひどくて3泊ほどしてから家に戻りました。今でも大きくて吸い込まれそうな瞳を覚えていますが、子共もに対する感じが、不思議と小さいころ夢中で取った昆虫に近い感じ方だったと思います。なぜそのように思ったのか、分かりませんがとにかく不思議な体験だったように思います。
育 児
どんな人でもはじめはそうだと思いますが、何をどうしたらわからないものだと思います。首はふにゃふにゃしているし、何を訴えているのかわからない。どうしようもなくかわいくて、どうしようもなく手の焼けることだと思います。私の場合、両親に教わることもできず、タイのほうでも特にどうしたらいいというのはない様なので、本を見て対処しました。もちろん、妻が近所の人に聞いたりしていたのですが、あまり参考になるようなものはなかったようでした。大家さんも子供を一人育てているのに抱き方さえよく覚えていないようでした。まあ、行き当たりばったりで育てていきましたが、私よりも妻のほうのストレスがかなりあったようで、子供の首が据わった後、自由に買い物に出かけられることがとてもうれしかったようでした。
会 社
会社は、インターネットの求人を見て連絡しましたら、そのまま採用ということになりました。私の今までやってきた職業とは関係のない会社なんですが一部のセクションで建築関連の仕事を始めたので、そこで働くことになりました。場所は、バンコクの北西で工業団地内でした。とりあえずその近郊にアパートを借りました。本来ワークパミットが必要なんですが、私の場合家族ビザで入ってきていたので、とりあえずそのままの状態で働き始めました。後には、マレーシアのほうに出てビジネスビザに切り替えてワークパミットを取得したのですが、どうも家族ビザを持っている場合は海外に出ることなく切り替えができるようです。タイの支社で従業員が200人以上いる会社なんですけど、総務はいい加減なんですね。
仕 事
基本は、日本の会社の下請けで図面を描くというものでした。でも現実は非常に難しいですね。というのも、タイと日本では生活の習慣がまったく違いますし、建物だって全然違います。日本語の入力や手直しは私がやるとしても、基本の部分はタイのスタッフにやらせなければなりません。そうするとどんなにCADをうまく使えてもやはり描くのは非常に難しいようで、説明してもとても理解しにくいようなんです。決して彼らが頭が悪いとか、いい加減とかそういうものではなくて(中にはいい加減なスタッフもいます。特に女性はだめでしたね。優秀でも真面目ではないんです。男性のほうはおおむね真面目でした。)、どうしようもないものなんです。それでもごまかしごまかしやってきましたが、彼らもつらいようで部下がどんどん辞めていきました。こちらでは、人の移り変わりが早いので仕方がないんですが、それにしても早かったですね。
私自身もかなりきつかったですね。早いときはだいたい1週間ごとに仕事が変わりますので、対応しきれなくなりますね。具体的には、計画・構造・内装・外装・施工・トレース・・・、実際この職の方でないとわかりにくいかと思いますが、それぞれが専門で描くのが普通なんです。ですので、タイのスタッフにすれば何をやっているのかわからなくなり、こんなことをしているのだったらほかの会社に就職したほうがいいという話になりますね。結局のところ、まだそのセクションそのものが軌道に乗っていなかったので混沌としていたのです。
フューチャーパーク
郊外にあるショッピングセンターの1つです。結構大きいところで、そのエリアの建物の面積をあわせると日本ではなかなかない大きさになると思います。簡単に言うとちょっと大きめのデパートにアウトレットのショッピングセンターとジョイフルホンダのような日用雑貨のお店、それに映画館がいい加減にくっついたものと思ってもらえればいいです。子供がまだ2歳なので、こういった場所は楽でいいです。家からは車で20分くらいなので渋滞がなければそれほどのこともなかったですし。まあ1つ難といえば、オープンと同時に行かないと駐車場がかなり遠くなってしまうので、子供が車に轢かれそうなのが怖かったですが(こちらは、日本のような優しい運転ではありません。注意しないと本当にぶつかります)。
退 職
約1年ほど働きましたが、退職しました。いくつか理由がありますが、今考えても、いろいろな事をやりすぎて、訳がわからなくなったこと、ここにいても自分がまったく成長しないのではないかと不安に思ったことが大きな理由かと思います。きっかけは、私がミスをして上司にかなりの負担をかけたことですが。
人それぞれ考え方が違いますが、転職というのは非常に変化があって自分にとってプラスになるものが多いと思います。どうも日本の人はつらくてもそれを乗り越えて成長するというような考えが強いようですが、必要のない辛さをしているように思います。たとえば、自分が成長するため、この仕事を成功するため、この仕事が好きだから・・・、こういった前向きの辛さは必要かと思います。でも、ただ単に今の生活を維持するためとか、家族のためだとか、周りの人の目を通して自分を見るようなことをして我慢したりする(世間一般で認められたポジションでいることなんかを言いたいのですが分かりにくいですね)のは違うと思います。今の生活を維持することに何の意味があるのか、家族のためと言っても本当に家族は本当にそれを望んでいるのか、世間から認められた会社ポジションにいて周りから「いいですね」とか「やめるなんてもったいない」なんて言われることがそんなに重要なのか、と思うのは私だけなんでしょうか。たぶん多くの人が思っているんでしょう。でも現実、次の職を見つけられず、ローンの返済なんかもあってなかなか行動に移せない。でも、そんなことは全部自分次第なんです。ただ、怖いからみんなが納得するような理由を挙げているだけなんです。本気で次の職を探しましたか?今より条件が良くないといやだとか、会社が小さいから不安だとかそんな言い訳を言っていませんか。ローンの返済ができなくなるというのもまた私にとっては言い訳にしか聞こえません。家を売れば何とかなりませんか?車を手放せばいいのではないですか?どうして私がこんなひどいことを書いたかというと、タイでの田舎の生活を知っていることと、ほとんど家族以外のものを一度捨てているからです。一度、家族以外のものを失えば、本当に自分がどうしなければならないか、或いはどうしたいかが見えてきます。それは、簡単なことでもないし、今のつらさよりさらにつらいかもしれません。でも、私はそのほうがいいのではないかと思います。実際、人それぞれですから、私のはその1つの意見に過ぎません。