ブカレスト
10月10日
朝の5時45分のバスでブカレストに向けて出発。ホテルから2キロ位だから歩いて20分だろうと思っていたのが甘かった。5時10分にホテルを出て、バスに乗れたのは5時38分だった(地図をよく見ると3キロ弱で12キロの荷物を持つのだからもう少し余裕を見ておけばよかった)。日本の場合や、通常の国なら出発時間丁度か2~3分遅れて出発するのが普通だが、先進国以外の場合ドライバーの気分で5分くらい早いときもある。このバスも3分ぐらい早く出発した。一応、バス会社の担当の人が人数を数えていたこともあるので良いのだが、そのあたりがかなりいい加減かと思う。ブルガリアで出国、ルーマニアで入国の手続きが必要なのだがルーマニアでの1回だけだった。イギリスやアイルランドも入国時のみだけだったので(出国先の国にもよるようですが)、同じかと思ったら出国と入国が同時の手続きだった。しかも、アイルランドのスタンプの上に押してある。やはり、ポーランドもそうだが先進国以外はいい加減。ちなみにスタンプも一部文字や数字が消えている。さらに、審査中にバスの運転手が両替所あそこだから必要な人両替してなどと暗闇にぽつりとある両替所を紹介している。せっかくなので、ブルガリアのお金は両替したが。いい加減さも度を越すとほほえましい限りだ。
こちらは、夏時間なので7時くらいでやっと明るくなってきた。実は、ブカレストまで100km弱なので渋滞の中を通っても7時40分くらいには、バスターミナルに着いてしまう。中心部にほど近いほうであったため中央のバスターミナルに行くものだと思っていた私は現在地がどこなのか分からなくなってしまった。いずれにしても中央バスターミナルなら結構な人もいるだろうし、くつろいで時間をつぶせるだろうし電車のチケット等も売っているはずなのでどうにでもなると踏んでいたのが、ここの小さなターミナルでは待合室は私一人電車のチケットも売っていない。ほかの人は仕方なくタクシーを使っているようだったが、私は、ルーマニアのお金を600円位しか持っていないので足りるかどうか分からない。両替所、ATMもなしいづれにしてもホテルに行くには早すぎるのでどこかで時間を調整しなければならない。外に出てチケットが売っていそうなターミナルを出た脇にある売店のおばさんに電車のチケットないですかと聞くと、よく分からないがチケットはないどこに行きたいのだという感じで聞いてくる。メモを書いてくれと言われた後、近くのタクシーに話しかけようとするので笑ってありがとうと言って立ち去った。その様子を見ていたのか、30歳位の男が声をかけてきた。ここは危険だから早くホテルに移動したほうが良いという。ただ、ホテルは2時からのチェックインなので昼ごろに行こうと思うというと、あなたは旅行者なのだからホテルも受け付けてくれるはずだ、この前もここの近くで韓国人が殺されたという。まあ、どこの国でも夜歩いて絡んでいけばいればそういう目に合うこともあるので、あまりの大げさであきれて聞いていたが、その雰囲気を感じたのかカメラ一つで襲われたりするんだぞという、あそこを見ろ旅行者の後ろについて伺っているぞ、と、どう見ても友達同士が歩いている姿を指差した。ホテルはどこだ車があるから送って行こうと言い出す。もうこの時点で明らかにこいつは金がほしいだけだなと思ったが、一生懸命に営業をしているのでホテルの位置を説明しようとして携帯を取り出すと、頭がおかしいのか狙われるぞと言い出す(さっきまで位置を確認するため携帯出してターミナルの周り歩いていたんだけどね)。みんな携帯出して話しているのに。よほど頑張って営業をしているようだ。俺の車の中で確認しようというが、車に乗ったらどこに行くか分かったものじゃないので、堂々と携帯出して説明した。すると、俺は地元の人間だから問題ないんだという。ここまでなら5ユーロでいいという。5ユーロちょうどもないし乗る気もほとんどないが、ルーマニアレウだったらいくらと聞いてみた。1ユーロが50レウだから、その時点で「はーん?、5レウだろ」と言い返したら、違うと言い張るので(調べると現在4.4位です)、すぐにバスターミナルの待合室に戻った。もちろん彼はちょっと待てとかなんか言っているが中には入ってこない。当然バス会社関連の人がいるので、詐欺師は入ってこれないのだ。彼は、6500円位巻き上げようとしていたわけだ。ついでの余談になるりますが、海外で、電車やバスの中で寝ることは極力避けるようにしてください。長距離なら多少は良いかと思いますが、公共のバスや電車で寝るのは物あげますよと言っているようなものです。タイのBTSやMRTでも時々寝ている方いますが、この旅の最中居眠りしているのを見たのは酔っぱらいの年配の人1人だけ。海外はそういうところです。
実際、ブカレストは危険だという日本人が多いようで、日本語のホームページには危険なことばかり書いてある(そうでないのもあるが)。少し時間をつぶしてから、タクシーで行くか歩いていくか悩んだ結果、少し歩いて方向が合っているならそのまま歩いていくことにした。結果合っていたのだが、荷物が重い。朝も3キロ弱、今も3キロ弱歩いたところでそこそこのデパートに横に来たので、10時の開店を待って、入り、両替と食事をした。ここまで来た感じで、はっきり言って10年前のタイのほうが危ないと思う。朝変な人にはあったが、街の感じや人の感じで概ねポーランドと同じレベル、昔初めて来たタイのほうが危なかった(今は慣れたので何が危ないか以前より判断できるが)。ただ、時間帯や地域によっても違うので、暗くなってから出歩かないことと、昼間でも、人気の少ない場所や、行き止まりになりそうな道は避けるが。この後、電車のチケットも買うことができ無事ホテルに着いた。
時間があるので、少し出歩いてみた。路面電車から地下鉄に乗り換え、100年ほど前の家などが展示してある博物館に行こうとしたら降りた駅を間違えたようで、またよく分からない場所に来てしまった。公園を少しあるくと何の博物館かよく分からないが結構大きな建物だったので入ってみた。どうも、鉱石、クリスタル、化石などの博物館だったらしい。相当数のクリスタルを見たが、同じ成分でもずいぶん見た目や色が変わる物だと感心した。見学時間40分程度だが、来客は私1人だったように思う。
R-1 ブカレストに行く道中の夜明け
R-2 Kiseleff公園
R-3 地質博物館の鉱石1
R-4 鉱石2
10月11日
久しぶりに寝坊をした。と言っても8時だが。規則正しい生活は、風邪や体調不良を起こしません。昨日が朝早かったので疲れたのだろう。足も重い。
昨日行けなかった古い家のある博物館に行った。見て思ったが、石造りでない。木か土壁。概ね100年前から200年前程度なので、西側の地域は石造りだったと思うがこちらは違うようだ。ただ、日本のような精巧なものではなくただ組み立てたというレベルの物が多いのが少し残念。一部の家を見て、今から10年位前2か月間位だが茅葺の家に暮らしたことがあることを懐かしく思い出した。たぶん、私の年代でそんな家に2か月も住んだ人は、日本人では稀かと思う。若いうちの苦労は買ってでもしろという言葉があるけど、私は「経験は買ってでもしろ」に言い換えたいと思う。今時、苦労してない人なんてホント稀だと思うし、歳をとるごとに苦労は増えると思う。昔は、苦労せづとも暮して行けた時代があったのだろう(タイを知っているからそう言うことができる)。ただ、無駄な経験でも少ないより多いほうが何かと良い場合が多いと思う。この旅に出ることにあたって、そんなことして時間の無駄じゃないかと言う人がいなかったのが、すごく不思議だった。というのは、私がそう思っていたからだ。たぶん行きたいという気持ちだけで、行ってもそれほど得られるものはないのではないかと思っていた(実際にやってみないとどうなるか分からないという気持ちのほうが強かったというのもあるが)。今のところ、得るものは少ないが、まあやってよかったとは思っている。
R-5 Village博物館1
R-6 屋根の葺き材が1枚ずつデザインされている
R-7 復元しかけの土壁
R-8 いい加減な屋根葺き
R-9 部屋の内部
10月12日
郊外の方に路面電車で向かったところいろいろなところで言われているように、確かに治安の悪そうなところがある。簡単に言うと、異常に高い柵が隙間なくあり、ドアの窓の部分が極端に小さいところが治安が悪そうに見える。昼間は良いが、夜には歩かないほうが良いだろう。
旧市街のほうに行ってみた。非常に良い雰囲気であるが、やはり警察があちこちで監視している。そのおかげで危ない感じの人や雰囲気が良く保立てているのだろうが。
R-10 旧市街1
R-11 旧市街2
R-12 旧市街3
R-13 中心地から5キロほど離れた団地
10月13日
ホテルを変える日。今までのホテルがあまりに悪かったため、大分まともになった。ただ、場所が工事中の道路近くで、あまり雰囲気が良くない。周りを歩いてみたが、変わった人が多いように感じる。奇声をあげる人、腕を振り回しながら歌っている人、車にぶつかりそうになりながら道路を何度もわたっている人、投げ煙草を拾って次々と吸っている人など。夕方になると声をかけてくる人も増えて来る。12、13年位前のバンコクによく似ている。写真などを取っていると人が寄ってきそうな雰囲気があり、あまりいい感じではない。
R-14 ホテル近くの様子
10月14日
街の景色が見たいので、極力路面電車で移動したが、分かりにくい。ブカレストの人も間違えて周りに聞いたり運転手と怒鳴りあいになっている人なんかもいた。私も、インターネットで地図や路線図をダウンロードしているが、非常に分かりづらく行きたいところになかなか行けない。結局は、地下鉄で移動せざるを得なくなる。街の雰囲気は廃墟と古いマンションそれに時々あるショッピングセンターといった感じで、外れのほうになると一軒家が多くなるがタイと同じで酷いものだ。本当に人が住んでいるのかと思えるようなものがほとんど。また、路面電車も、今まで回った国で最も酷い振動と音がする。
R-15 郊外の治安が良い感じの場所
R-16 中心地にほど近い廃墟(5秒立ち止まると大型の犬が2匹吠えながら走ってきた。柵があるので問題ないが。)
10月15日
雨が降っていたため博物館へ行ってみた。ホテルのすぐ近くだったのでミリタリー博物館へ。第2次世界大戦以降の物にはあまり興味がなかったのだが、なんと石器時代から武器の陳列がしてあった。銃が出る前の弓でもものすごく強力そうなのが展示してあったり、ローマ時代だと思うが、実際に使われたものという感じの物が展示してあり(他の博物館は当時の上流階級が使用していた物がほとんどのような気がする)映画のセットを見ているような感じだった。
次に農業博物館へ行ってみたが、ブルガリアや南米のほうさらにタイ北部の方面と服装が似ている。人間の感覚というのは場所は違えどそれほど変わりないものなど、しみじみ思う。
明日、トルコに移動するのでルーマニアはこれで最後になるが、あまり好きになれない場所だった。常に周りを気にしなければならないし、観光を楽しむ雰囲気でもないし、人々の感じもどことなく暗い。さらに言えば、タイと同じで貧富の差がありすぎると思う。二十歳くらいの人がBMWのスポーツカーを運転していると思えば、老人がレジで小銭でぎりぎりの商品を買っている。食べ物は良いかと思うが、ブルガリアと同じくメニューなどは英語での併記が無いため苦労する。仕方ないとはいえ、先が暗い国のように感じた。
R-17 あまり状態は良くないが実際に使われた感じがある鎧の一部
R-18 ドイツ関連の展示も含まれている
R-19 上記展示の中に日本関連の勲章も
R-20 実際に使われた帰還用ポット