ソフィア
10月2日
今日は、ブルガリアのソフィアに行く日。ヨーロッパだけどヨーロッパからのけ者にされてしまっているような国。そういうことを、事前にネットなどで読んでなんて嫌な言い方だろうと思っていたが着いてなるほどと思った。どちらかというとトルコに近い。建物の様子や雰囲気がトルコの延長で東ヨーロッパとは少し違う。人も白人が少ない。どちらかというと、中東系といったところで、少ない白人もイギリスやアイルランド系の感じとは違う。物価も安いようでスーパーに行った感じでは今まで回った国で一番安いかもしれない。そういえばこちらのビールの値段って知っていますか。510mlが標準で、物価の高い国で150~400円。物価の安い国だと50~200円くらい。種類によって様々なので比較しにくいが、銘柄をハイネケンに限定し、国別で150~250円位だろうか。いったい水と同じくらいでどうやって利益を出すのだろうか。謎だ。
10月3日
寒い。いくら標高500mでも、函館位の緯度にしても寒すぎる。午前10時半でも息が白くなる。予報では最高気温9℃、最低0℃とのことだが、今は10月上旬いくらなんでもあまりにあまりだ。この前まで北海道より北の緯度にいたけど日中は15℃くらいまでは上がっていたのに。私の服装は15℃くらいを考えて持ってきているので10℃位ならまだ我慢できるが、5℃位だと結構寒い。この気温て、東京で言えば正月になるのではないだろうか。ただ、ここで服を買ってしまうとまた捨てなければならないのでなるべく市街地を回るようにした。
ソフィアはブルガリアの首都でありながらかなり小さい街のように感じる。今まで回った中で一番小さいスロバキアのブラチスラバよりさらに小さいと思う。寺院もいくつかあるが見た目では全く他の国の寺院と比較にならない位、華やかさがない。逆に神聖な場所という感じがすごくする気がするが。街中の主な観光地は1カ箇所にまとまっているのでざっと見るとあっという間に終わってしまう。理由はよく分からないが道は常に渋滞しているようだ。バイパスなどが少ないのかもしれない。私は、バスがまだよく分からないため基本地下鉄で移動しているのだが待ち時間の表示がいい加減。5分から15分違うことが多々あるのでずれるなら表示しなければいいのにと思ってしまう。次に行くルセという町までのチケットをもらいにバスターミナルまで行ったが、まさにタイのシステムと同じだった(簡単に言うと会社ごとに小さなブースでチケットを売っている。その会社数が30社くらいあるからややこしい。)。本当にヨーロッパ?と思ってしまう。これでは、アジア方面での移動に疎い人はかなり大変だと思う(あるいはロシア方面はこのようなものなのか)。チケットは簡単に手に入ったので、近くの中央鉄道駅に行ってみた。結構な規模はあるようだがかなり寂れているように感じる。表示がキルギス文字なので全く分からない。通常英語と入れ替わり表示されるのだがそういったことはしていないようだ。また、かなりの数の店舗が空になっていてちょっと良くない雰囲気だ。おそらく夜はかなり危険だろう。下手に写真を撮れるような雰囲気ではなかったので撮らなかったが、今までの旅の中で最も危なそうに感じたところだった。
あまりに寒いので、デパートに行ってみたが、人が少ない。都市部でそこそこの大きさのデパートに行くと平日でも結構な人がいるのだがここは少ない。他の国のような高級な感じではなく日本の標準的なデパートのような感じ。あまり無駄に広く場所を使っていないことと、デザインがそれほど特徴がなく、天井が高くない。
B-1 部屋から見える南側の雪がかかっている山(10月3日ですよ)
B-2 寺院などが集まっている通りの西側から
B-3 建物で囲まれている聖ゲオルギー丸教会
B-4 有名な アレクサンドル・ネフスキー寺院
B-5 桜を贈った記念碑(律儀な国だと思う)
10月4日
今日も寒いが昨日ほどでない。最高気温11℃とのことだがおそらく昨日と比べて5℃は違うと思う。それほどの寒さでもないと言っても、外に長時間居れるような状況でないので、今日もデパートや市場などを見てきた。
中心地から南東に向かった場所にある市場だが、野菜と果物のみでそれほど大きくなかった。地下鉄の出口に記入されているくらいだからそこそこの歴史はあるのかと思う。時間が午前十時半くらいだったためかもしれないが活気があるというか、年配の方たちの社交場のような感じがした。果物の感じから言って今の寒さはちょっとおかしいのだろうと思えた。もう一つには、ウィーンに居たときの確認では予報で最低気温10℃最高気温20℃前後だったので、急に寒くなったのかもしれない。平年では8℃と19℃でもあるし。
その後、その市場からほど近いモールに行ってみたが昨日行ったデパートと比べて多少広々とした作りだった。明日、天気が良ければ山の方面に行こうと思っていたので長袖の服を買おうかどうか少し見ていたが、概ね3000円位なのと物を増やすのにどうしても抵抗があるのでやめてしまった。
こちらに来てから思うが、ほとんどブルガリア語しか聞こえてこないような気がする。ほかの国では、意外といろいろな国の言葉が聞こえてきたのだが。観光客が少ないようには感じないので、私がこの地域の言葉の違いが分からないだけかもしれない。
B-6 野菜と果物の市場
B-7 モール(私が今まで色々な国で見た中でモールと表示されている中では一番小さい)
10月5日
せっかく山が近くにあるのだから、行ってみたいと思っていたのだが天気の悪さとリフトが土日しか動いてないとのことから行っていなかった。今日は晴天、気温も昨日と比較して高いようだ(午前10時でも息は白くなるが)。地図で見ると泊まっているホテルの近くからバスが出るようなので行ってみると、なんと1時間に1本(国や地域にも違いがありますが何分ごとにというような表示が一般的で、このバス停を何時に出発という表示はほとんどありません。始発が何時というのは時々載っています)。ここで、目的の場所にこだわらず、山にリフトで登れる場所ならどれでもいいと思い、待っていると5分ほどで本来の目的地ではないがバスが来たので構わず乗ってみた。ゴンドラ乗り場に着き乗ってみると、ゴンドラの長さがなんと6キロもある。日本でスキー場などで乗るゴンドラと同じだが、3キロ位が普通なのにその倍。標高も700mから一気に1900m。久々に見る雪と山々を見て懐かしく感じた。こういった自然を堪能するということにおいて、日本はかなり豊富にあると思う。ある程度の面積を持つこと、南北で相当の緯度の違い、周囲が海で囲まれていることなど、他の国でこのような特殊な条件を満たしているのは、数国しかないと思う。
B-8 標高の表示(1934m)
B-9 まさにスキー場
B-10 ゴンドラから東の方角
B-11 風景に国の違いは関係ないと思った
10月6日
トラムで東と西のほうに行ってみた。東は工場などが多くある一角に野菜の市場があった。今回のは大きく個人というより業者が買い付けているかと思う。あまりに場違いな感じがして中には入って行かなかったが、人の感じが違う。皆、アラブ系か、ごついアジア系に見える。
西のほうは、主に住居地域。この国も他の東ヨーロッパの国にもれず、朽ちた共同住宅が多くあった。
どうも、ソフィアに来てから体の調子が良くない。考えてみると、標高が高いことから来る気圧の変化から来ているのでないかと思う。車やバイクでキャブレターのセッティングをしたことがある人なら分かると思うが、おおよそ500m位から少し調子が悪くなり、1000mを超すとまともに走らなくなる。
旅に出てからずっとなのだが、音楽や本、インターネット、このホームページを書く時くらいしか日本語を使う機会がない。最近読んだ本の中で銀河鉄道の夜があるのだが、今回読んでみてもまだぼんやりしている。本当は小さいころに2~3回くらい読んでいたはずだが、情景が浮かばないのでぼんやりしたままだったのだ。本のことはさておき、この小説が書かれたのは相当前のはずであるが、この夢のような出来事を物語にする際の発想はどこから出てきたのだろうか。一つ一つのストーリーが何気なく通り過ぎるが、当時の日本でこのような発想が容易にできる環境でなかったことは明白かと思う。しかし、芸術家とか発明家はそれをやってのけてしまう。いったいどこから発想が来るのだろうか。非常に不思議だし、おそらく本人にもよく分かっていないのかと思う。そういえば、私も1つ不思議な体験がある。小学1年生か2年生の時だと思うが、引き算が始まったとき、どう教えられてか覚えていないが、自然と自分だけのやり方が出てきた。例えば12-5というのは5から2を引いて3、その対(合わせると10になるといったほうが良いか)となる7という計算の仕方。当時、私は算数がそれほど悪くなかったことから、友達に説明を頼まれたりしていたのだが、このやり方を理解できる人は無かったと思う。足して10になる対となる数字の感覚が私独自のものかもしれない。私も、別になにか変わったことをしようとしていた訳でなく、教えられたやり方が面倒だったので自然と湧き出たこのような計算の仕方に切り替えたことを覚えている。その当時から今日まで私の引き算はすべてこのやり方。役にも立たない発想だけど、たぶん芸術家とか発明家も、時々このように無からふっと湧いたものを表現しているのではないだろうか。彫刻家などは木にデザインとなる物が埋まっていてそれを出してあげるだけだと言う人もいるが、なかなかそうはいかないと思う。
B-12 東の隅にある工業地帯
B-13 工業地帯のバスターミナル横にある露店のブドウ屋(歩道で500m位つづいてる)
その横では同じプラスチックのケースを使った鉄くず屋さんがいた
B-14 市場の隅から(バスケットボールより2回り大きいかぼちゃ)
B-15 西の外れにある朽ちている共同住宅
ルセ
10月7日
とうとうこの旅も30日を切ることとなる。訪れる予定の国も、ブルガリアを除けば2か国のみ。バスで北の国境の街ルセに向かう。元々は、ドナウ川沿いで交易の拠点だったため昔はこの地方では相当の大都市だったらしいが、現在はブルガリアで4番目の都市とのことだ。ただ、人口は18万人ほどしかいない。
移動時は暇なので、景色を見ながらいろいろ考え事をする。どこかいい国が有ればそこで暮らしてみようかなどということも考えていたのだが、歳のせいかそんなに自分を追い詰める必要もないかと思い始めていた。実際、あと15年位で何ができよう。一つの職業で一人前と言われるまで10年位かかってしまうのに(10年かからないで1人前になれるのはたいしたことない職業です)、住む国まで替えて言葉も一から学んで何ができようかと思う(英語なら簡単ですが、ヨーロッパではイギリスとアイルランドだけかと思う)。日本で10年、タイで8年働いたこともあり、やはりタイで働くべきかと思う。年に2回くらいしか会わないが家族も居るし、少ないが友人もいる。こういう決め事はいつもなかなか答えが出ないのだが、面白いことにあるとききちんと決めることができるようになる。成長するのか、覚悟ができるのか分からないが私の場合そういうものだ。
多くの人が判断の基準を他人の目でしているが、そういった判断では後々後悔するのではないかと思うので私はしたことがないが。
B-16 ソフィアからルセに向かう途中の景色1
B-17 ソフィアからルセに向かう途中の景色2
10月8日
次のルーマニア行きのチケットを買うため、バスターミナルまで行ったのだが、ブルガリアの会社のバスは、朝5時45分のみ。ルーマニアのほうは、乗り合いワゴンのようなのだが、どうも人が多ければ安く、少ないと高いらしい。表示には47ユーロとなっているので、1台の値段なのだろう。朝早いが9ユーロのブルガリアのバスを使うことにした。本当にどこから行ってもルーマニアは行きずらい国だ(飛行機は別だろうが)。ブルガリアもトルコとの国境では密輸関係が多いらしいので結構面倒なようだ。ブルガリアとルーマニアの場合、経済状況がそれほど違いがないことなどから意外とすんなりいくようだ。トルコからイギリスへ行くにもイギリスではなく、トルコの空港で結構面倒だったことを思い出す。
市街地を歩いていると、昔は良かったのだろうが、今は朽ちつつある建物が多い。フリーハンドで描いた直線のように家が歪んでいることが多い。一部の屋根が落ちてしまっているような所でも、洗濯物が干してあることから人は住んでいるようだ。しみじみ、貧しい国なのかと思う。ただ、人は皆明るいし、公園も多い。よほど、ドイツよりも人は幸せそうに見える。何が人にとって幸せかを考えさせられてしまう。
話が変わるが、国際成人力調査というので、日本人が他国を抜いてトップだったらしい。私が、驚いたのは、中卒でのポイントだ。日本では、学歴などあまり関係ないが、なるほど、大卒との差が他国に比べてそれほど違いがなく、なんと他国(アメリカやドイツ)の高卒より高い。本当に、日本の工場などの作業員のレベルの高さが理解できる。私が、タイの作業員のレベルを小学3年生から6年生くらいだとよく言っていたことの証明のようなものだ。よく、日本に住む日本人が海外で働くのを簡単だと思い込んでいるが、小学生レベルの考えで行動する作業員をまとめるのがどれくらい大変か分かってほしいものだ。タイでも、逆恨みで銃で撃たれたり、殺されたりするのに。実際、お世話になった会社の社長も盗難をした従業員を解雇したあと、バイクからラリアートを食らったりしているから、ひどいものだ。日本では、警察に届けなかっただけでもありがたいことなのに、彼らからすればきちんと働いているんだから多少の盗難なんて当たり前だろと思っていたのだろう。ある大手の会社では、マフィアが会社に入り込んでいて、盗難などの調査を外部に依頼すると、命がほしければ調査をやめなさいとその調査会社から言われるという。本当の話かどうか分からないが、数百万円単位で盗難されても黙り込んでしまうところから、かなり信憑性のある話かと思う。
B-18 ルセ駅
B-19 駅からのメイン通り
B-20 中央広場付近
B-21 ルセ市庁舎
B-22 野菜にチーズを入れた油浸けの物
10月9日
本当は岩窟寺院に行こうかと思っていたのだが、中途半端な距離でタクシーで行く必要があるようなので、あきらめた。どうもタクシーの運転手に声をかけられた感じからトラブルになりそうな気がする。そこで川沿いの公園を歩いてみたのだが、長い、2キロくらい進んでも景色が変わらないので、そのまま戻ってしまった。
昨日もそうだが、今日もレストランで困ってしまった。英語のメニューや写真付きの物がないのだ。さらに英語は全く通じない。あまりに通じなくて、店の人は笑い出してしまった。ほかの客が間に入って何とか注文したが、疲れる(事前にメモなどで書いて見せれば良いのですが、まさかどの店も通じないと思わなかったので)。やっぱりスーパーで買い物して部屋で食べたほうが良いかもしれない。
B-23 延々と続く川沿いの公園
B-24 川の向こうはルーマニア